タレント名 | 角松 敏生 |
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ふりがな | かどまつ としき |
生年月日 | 1960/8/12 |
その他のプロフィール | |
血液型 | |
星座 | しし座 |
出身 | 東京都 |
サイズ | |
趣味・特技 | |
活動ジャンル | ミュージシャン/音楽プロデューサー |
デビュー年 | 1981年 |
略歴 | "1981年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、1983年リリースの杏里『悲しみがとまらない』、1988年リリースの中山美『You're My Only Shinin' Star』はどちらも角松敏生プロデュース作品として業界チャート誌の1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行、同時に他アーティストのプロデュース作も上位に送り込んだ角松だったが、当時の音楽シーンへの疑問などに行き詰まった彼は、この年の1月27日、日本武道館でのライヴを最後に自らのアーティスト活動を「凍結」してしまう。しかしこの""凍結期間""には、「プロデュース活動」の依頼が殺到し、プロデューサーとしての手腕を存分に発揮することになってしまう。また、1997年にNHK""みんなのうた""としてリリースされたシングル『ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう』/AGHARTA(アガルタ:角松が結成した謎の覆面バンド)は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月<長野冬季オリンピック>閉会式の大舞台に立ち、今や国民的唱歌『WAになっておどろう』を披露。全世界に向けてこの映像が映し出された。「凍結」から約5年、角松敏生は遂に自身の活動を「解凍」することを宣言。1998年5月18日、活動を休止した同じ日本武道館のステージに再びその姿を現した。その『He is Back』コンサートのチケットは発売5分でソールド・アウトとなる。翌年リリースしたアルバム『TIME TUNNEL』はチャート誌初登場3位を記録し、変わらぬ支持の大きさを実証してみせた。その後は、2作連続でシングルをTOP10入りさせるなど、作品ごとに新しいコンセプトで挑むアルバム、ライヴDVDなどをリリース。他にも映画音楽や映像作品の制作、そして、様々な形態で精力的にコンサートツアーも行い、その妥協を許さないスタンスとクオリティーで常に音楽シーンの最前線で走り続けている。2021年6月には、デビュー40周年を迎え、その記念ライヴを横浜アリーナで行った。" |
代表作品 |
シングル『杏里「悲しみがとまらない」』プロデュース シングル『中山美穂 「You're My Only Shinin' Star」』プロデュース シングル『AGHARTA「ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」』 |
データ提供:タレントデータバンク
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