古くは清少納言が 『枕草子』で若者の言葉の乱れを嘆いたように、日本語はその長い歴史の中で、時代に合わせて幾度となく姿を変えてきました。被害者と同様の意味で使われている “犠牲者”が、もともとは「神の怒りを鎮めるために身をささげる者」という意味を持つ言葉であったように、現在では正しいとされている言葉でも、昔は別の意味で用いられていたという例は少なくありません。とはいえ、このような別の意味として定着してしまった言葉でもない限りは、本来の意味をきちんと覚えておきたいものですね。
 「実は…使い方を間違えていたコトバランキング」で1位になった《役不足》は、「その人の能力に対して役目が軽すぎること」というのが本来の意味ですが、「その人には荷が重い」という全く逆の意味で使用されることがしばしばあります。《情けは人の為ならず》もよく間違われる言葉で、「他人に情けを掛けるのはその人のためにならない」ではなく、正しくは「他人に情けを掛けておけば、巡り巡って自分に良いことがある」「他人に尽くすことは、結局自分のためになる」という意味の言葉です。
 上位に入った言葉は正しい意味を教えられると「ああ、なるほど」と納得してしまうものがほとんどですが、5位の《半時》などは、1時間を意味すると言われても「なぜ?」と首をひねってしまいますよね。これは、明治時代の初期までは1日を12等分しており、今の2時間にあたる “一時(いっとき)”が最小単位であったためで、12等分された時間は“子(ね)の刻”“丑(うし)の刻”といった 十二支で表現されていました。昼の12時を“正午”と呼ぶのも、午後0時を意味する“午(うま)の刻”の名残です。
 平成15年に 文化庁が行った “国語に関する世論調査”によると、5位の《檄を飛ばす》などは70%以上の人が本来の意味である自分の考えを広く人々に知らせて同意を求めるとは異なる意味で理解していたそうです。このように誤った意味で使われている言葉がいつの間にか正しい言葉として浸透してしまうのは、“あいまいさ”が特徴と言われる日本語ならではの現象なのかもしれませんね。