どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、前回まで3回にわたりヨーロッパの歴史を紹介してきましたが、日本に戻ります。

今回は、1951年(昭和26年)ごろ放映されただろうと思われる(同年に調印されたサンフランシスコ平和条約の場面も収録されているので)、「THE BIG PICTURE」というアジア地域で毎週放送されていたアメリカ軍のオフィシャル番組を取り上げたいと思います。タイトルは「Japan: Our Far East Partner(極東アジアでの朋友:日本)」28分ほどのモノクロ映像ですが、貴重シーンが満載でとても興味深い内容です。

28分の映像と、気軽に楽むにはやや長めなので簡単に要約すると、なぜ第二次大戦で敵同士であった日本とアメリカが、わずか数年の間に友好国になることができたのかということを、アメリカ軍目線で解説していくという内容です。結局はアメリカによるさまざまな協力や、兵士たちの真摯な姿勢によってなしえたところも多かったという、アメリカ軍関係者向けのプロパガンダ的な意味合いが強いようにも感じられます。

(米軍を持ち上げても仕方ない)この記事では、元映像の趣旨はさておき、主に終戦直後の興味深い映像を中心にクローズアップしていきたいと思います。早速見ていきましょう。

この記事の完全版(動画・全画像付き)はこちら

米軍オフィサーによる「敵国だった憎い日本も、現在では別の意味での重要な国となってきています」という説明が終わると……、大分県別府市の「WELCOME」という横断幕が映し出され「いらっつゃ、います」というたどたどしい日本語ナレーションが入ります。もちろん「WELCOME」を直訳して「いらっしゃいませ」と言っているようですが、横断幕の内容から「お帰りなさい(韓国での軍役から別府市にお帰りなさい)」が適切だと思います(と無意味なツッコミ)。時代は1950年(昭和25年)に始まり1953年に休戦となる朝鮮戦争の頃のようです。

日本人女性たちから花束の贈呈を受ける米兵たち。「現在では日本人からこんなに祝福を受けるに至っています」とナレーションが入ります。でも、終戦直後は……、と映像は昭和20年ごろのものに切り替わります。荒れ果てた土地や、日本の警官を先頭に行進する米兵たちの姿などが映されます。

沿道で見ているのは、お年寄りと男の子供たちが目立ちます。「口では『ようこそ』と言ってくれていますが、その表情には友好的なものは見られません」、とナレーション。そりゃ、日本政府からは「鬼畜米英」だと教え込まれ、米軍からは無差別空襲をされてきたわけですから、当たり前のことではないでしょうか。

道幅の狭い日本の住宅街を走る米軍の大型トラックと、それを見つめる住民たち。勝者と敗者の立場が如実に表れている場面です。

空襲によって破壊されただろう街並みが映ります。高い煙突がポツンと残っています。こちらは空襲の後にできたバラック(廃材を組み合わせて作った住居)のようです。

国民服を身につけた男性たちが何かを眺めています。どうやら米軍による瓦礫の撤去作業のようです。ブルドーザーを使っていとも簡単に整地していきます。

日本人だって、見学しているばかりではなく、スコップなどを使って必死に瓦礫除去をしています。引いた映像で見ると、うんざりしてしまいそうな瓦礫が残っていますが、実際にこれをすべて除去していったのです。



ここからは、終戦後に行われた選挙の模様です(背後の「柳屋ポマード」の広告に目が行ってしまいますが)。この候補者の「責任推せん」には、昭和20年代のほとんどを内閣総理大臣として務めた吉田茂の名前が。自由党から昭和22年に参議院議員となった遠山丙市議員のようです。男前ですね。当時から選挙カーはあったようです。現在のものよりも立派な感じがします。



続いては産業についてです。日本の産業も、かなりの部分をアメリカが立て直していったそうです。このオモチャ工場では……、

空き缶のようなものが大量に運び込まれてきます。これらは米軍が使用したもののようです。機械で缶の底をくりぬき、切れ目を入れ、今度はそれをのして板状にし、プレス機にかけると……何やら形になってきました(こういうクイズ番組ありましたね)。

ミニカーの出来上がりのようです。ほとんどの製品は輸出用ですが、この時代の日本製品は「made in Japan」ではなく、「made in occupied Japan(占領下の日本製品)」という生産地表記がされていました。こうしたブリキなどのオモチャは、当時の日本のメイン産業のひとつでした。



最後は、よく映画などで見たり聞いたりするけど、実際の映像では見たことはないかも……というシーンです。米軍車両一行がやって来ると、子供たちはいてもたってもいられないようで、車に並走していきます。これは何かというと……。

米兵のひとりが車の屋根に上がります。すると、みるみるうちに子供たちが群がってきます(※冒頭の画像)。そう、終戦直後が舞台の映画などでよく扱われる「ギブ・ミー・チョコレート」なるシーンです。ここではキャンディーを配っているようですが。

ご存じない方に一応説明しておきますと、米兵が来たら「ギブ・ミー・チョコレート(Give me Chocolate)」と言えばお菓子をくれるという説が子供たちの間に広まり、米兵を取り囲んでおねだりをしているところです。情報の少ない時代に、どのように広まったのでしょうか。

小さい子供たちは遠慮なしに米兵の元まで上がっていき、仕舞いには押し倒されてしまいます。相当に子供好きなんでしょうね。じゃなきゃ、やってられないです。映像の説明によると、米軍の真摯なるコミュニケーションにより、日本人と少しずつ距離を縮めていったのだそう。

いかがでしたか? 米軍の日本占領における功績と、日本の復興に対する努力をたたえた米軍目線の映像でしたが、これまであまり一般には知らされていなかったような場面も多く含まれていて、とても新鮮な印象を受けた方もいるのではないでしょうか。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



【動画】Japan: Our Far East Partner - The Big Picture(極東アジアでの朋友:日本【ザ・ビッグ・ピクチャー】)