どうも、服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回はなんと第二次大戦終戦後すぐのカラー映像を見つけましたので紹介していきたいと思います。ご存じの通り、第二次大戦は1945年(昭和20年)8月15日に終戦となりますが、この映像は、その同月と翌月に撮影されたもののようです。

この記事の完全版 (画像25点、動画1点)はこちら

まずは富士山が映し出されています。この動画には音声は録音されてなく、BGMがかぶせられています。日章旗(帝国海軍の旗)を掲げた船が近づいてきて、併走します。米軍船を出迎えに来たのでしょうか。

2艘の船が固定されると、日本の船から責任者らしきが乗り込んできて敬礼します。出迎えに来ているのに、まずボディーチェックを受けます。敗者と勝者との差が如実に表れています。

右端に立っている米兵に聴取されているのでしょうか。横並びに座っている日本兵たちの前に一人、メモを取っている人がいます。

船は港に近づいてきました。大きなクレーンが2機見えます。テロップが出てきました。「Yokosuka Industrial Area August 1945(横須賀の工業地帯、1945年8月)」。陸から船を見ている人たちの姿もあります。船が陸に上がっている様子が何隻も見られます。造船・改修中なのか、もしくは米軍船入港のために陸揚げされているのか。



場面は切り替わり、すでに上陸後です。案内標識が映し出されています。川崎1.2km・大師1.8km、横浜15km・東京15km(読みづらいですが)とあります。さらに米軍兵が監視する橋が出てきます。上記の距離からして、東京都大田区の六郷と神奈川県川崎市間の多摩川上に架かる「六郷橋(国道15線)」でしょうか。米軍兵らしきを乗せたトラックに続いて、馬車も通ります。のどかですね。



再び場面は変わり、何やら建物から米軍兵を中心にその周りを日本人が囲んで出てきます。現代よりもさらに体格の差を感じさせられます。「Police Guard Unites(Unitsの誤表記?) Head Quaters Yokosuka Zone」と書いてあります。全体は映し出されませんがその左にある日本語の標札「警察警備隊本部」の英訳版かと思われます。その入り口には警官に並んで米兵も警備しています。米兵の案内は米兵が担当。日本の警官は微動だにしません。

帝国海軍の開襟平襟式略装を着た男性が、2人の米兵に囲まれて何か問われています。襟章から海軍中尉でしょうか。



場面は変わり、日本人の住宅地に米兵たちがやって来たようです。女の子がその様子を遠巻きに見ています。米兵と日本人が向かい合って立っています。右奥にいる軍帽をかぶった日本人は、お札を数えているみたいです。麦わら帽をかぶった男性の手に豆のようなものが米兵から渡されます。スナックを売ってもらったのでしょうか。

帰還兵らしきが集まっています(※冒頭の写真)。右後ろの男性は南方の戦地に赴いていたのでしょうか。真っ黒に日焼けしています。みな痩せてはいますが、筋肉がたくましいです。お婆さん(?)に背負われている幼児。この子も現存されていれば70歳すぎなんですよね。

「JAPANESE」と表紙に書かれた本(会話集?)を見ながら、米兵が日本人青年とコミュニケーションをしています。微笑ましい光景です。最後に「SEPT. 2ND HANDLEY(9月2日 撮影者?:ハンドリー)」というメモ撮りが入って映像は終了します。



いかがでしたか? 3分弱と短く、リアルな音声はなく、内容的にも決して衝撃的な場面などは映らないのですが、それでも終戦わずか数週間後に撮影されたカラー映像というだけで十分貴重な体験を与えてくれるものです。また歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)