みなさんは、アイドルはお好きですか? 同じ美少女好きでも、女優・歌手といった専門職系の美少女好きとアイドル好きの間には微妙な違いがあったりしますよね。前者は“優れた存在への憧れ”がベースになっているので仰ぎ見るようなスタンスなのに対して、後者は“擬似恋愛”から応援する人の割合が多く、“ドジ”、“歌が下手”、“ダンスがぎこちない”など不完全な部分に「守ってあげたい」という魅力を見出す層も少なくない、という特徴があります。

■ 昭和初期の会いに行けるNo,1アイドルって?

昭和初期の少女スターというと、良家の子女を集めた宝塚乙女や映画女優の卵など、近寄りがたい美女をイメージしてしまいますが、戦中・戦前の日本にも、まるで現代の“会いに行けるアイドル”のように若者を熱狂させた身近でかわいい美少女スターが存在しました。フランスのパリ市内、モンマルトルにあるキャバレー「ムーラン・ルージュ」の名を冠した劇場「ムーラン・ルージュ新宿座」のトップ女優、明日待子です。(写真一覧は元記事でご覧になれます)

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下記の写真左のオカッパ少女が明日待子です。整いすぎず溌剌としたファニーフェイスに現代のトップアイドルにも通ずるキュートさを感じます。正統派美人という意味では右の姫宮接子のほうが優勢のように思えますが、現代のアイドル業界と同様人気ナンバーワンは一番の美女ではなく、どこか親しみやすさを感じる幼馴染のような雰囲気の女の子のようですね。(写真は元記事参照)

明日待子は大正9年、岩手県の釜石市で生まれました。父親は警察署長だったとのことですが尺八などを嗜む風流な趣味人で、父が尺八を吹くと母が義太夫を語るような芸事に触れる機会の多い環境で育ちました。幼い頃から女優志望だった待子は、13歳で地方巡業中だったムーランルージュの俳優・有馬是馬にスカウトされます。彼女のコケティッシュで清潔感溢れる美貌は経営陣の目を引き、すぐさま入団が決まります。

■ 若者を揺さぶる太平洋戦争とアイドル文化

当事の新宿はモダンな町として知られており、そのせいもあってかムーラン・ルージュ新宿座の客層はスノビッシュなインテリ層が中心でした。六大学の学生や教授が集まるサロンのような趣もあり、学生が多い分、同世代の少女である女優や踊り子に、擬似恋愛に近いアイドル的崇拝の目が向けられます。

待子のデビュー当事、日本は今まさに太平洋戦争に突入しようという激動の時代でした。二・二六事件で処刑された青年将校と同じ東京第一師団の新兵達も、まさに二・二六事件の二ヶ月前にムーラン・ルージュを訪れ「明日待子万歳!」と叫んで退場させられた記録が残っています。

もしもその中に二・二六事件に参加した人物が混ざっていたとしたら、二ヵ月後には「天皇陛下万歳!」と叫んで自決したことになる……と考えると、アイドルファンの暴走と命がけの暴走が延長線上にある過酷な時代背景が伺えます。

昭和初期を代表するような様々な作家や文化人にも愛されたムーラン・ルージュ。志賀直哉、菊池寛、西条八十、金田一京助、斉藤茂吉も顧客で、その中でも斉藤と金田一のお気に入りのメンバー、今で言うところの“推しメン”は明日待子だったとのことです。

太平洋戦争末期には、客席から「明日、私は学徒出陣します。明日待子、バンザーイ」などという声があがることもあり、感極まった待子が1人1人の手を握る“神対応”を返したと言われています

■ 1920年生まれは美少女スター当たり年

明日待子は1920年生れですが、同年生まれの美少女スターと言えば、本コラムでも過去に取り上げた国際的な美少女バイオリニスト諏訪根自子、日本人にも関わらず中国人歌手としてデビューし人気を博し、後にハリウッドでも活躍した李香蘭、20世紀を代表する日本映画のスター原節子と、層々たる顔ぶれです。まさに美少女当たり年とも言える1920年生まれ。

明日待子のみならず、2012年に死去した諏訪根自子、2014年に死去した李香蘭ともに90歳を超える長寿で、引退以来の私生活が謎のヴェールに包まれていた原節子も今年6月に94歳でご健在というニュースが話題になりました。1920年生まれのスター達には、平均より長い天寿を全うしている、という共通点もあるようです。

生まれながらの絶世の美女にして世界中から賞賛を浴びる才能を持ち、それゆえ時代の波に翻弄された諏訪根自子と李香蘭、永遠の処女と呼ばれる原節子はあまりにも高値の花すぎて、憧れることはできても感情移入するには敷居が高すぎます。その点、戦後も劇場に立ち続け小さくてかわいいイメージを保ったまま、29歳とスターとしては程よい年齢で結婚&引退した待子はまさに“隣のお姉さん”的身近なアイドルでした。

■ 美しいとかわいいの違いって?

境真良著「アイドル国富論」によると、<自分が気後れするような素晴らしい異性>を表す“美しい”という表現に比べ “かわいい”は、 <庇護してあげたいという欲求を引き起こす。(中略)支配したいという欲求と同義であり、対象を自分より下の劣等な存在と見なすことにも通じている(「アイドル国富論」より)> という感覚の現れとのことです。

それゆえに、まだ社会的にも精神的にも不安定で自信がない状態の若者達を熱狂させるのはやはり“かわいい”女性が多く、反対に“優れたものに果敢に挑戦する”性質を持つ一流スポーツ選手や富豪などに選ばれやすいのは、“優秀な遺伝子”の塊のような威圧感を持つ美女が多くなってくるのでしょうか。

デビュー当事 <まったく可憐であり美しかったが、女性としての野心をなんにも抱かせるものでなかった程幼かった(「幻の近代アイドル史」より)> と言われる待子はまさにアイドル系美少女ではありましたが、実は20歳で師範名主となった日舞を得意とする実力派でもありました。素直な人柄もあいまって「チィ」という愛称で可愛がられ、ライオン、キッコーマン醤油、カルピスのポスターに起用されるなど、今で言うところの「CMクイーン」的存在でした。

■ 90歳を過ぎても粋な老婦人

2011年にはムーランルージュ新宿座生誕80周年を記念したドキュメンタリー映画『ムーランルージュの青春』が公開され、明日待子が91歳で銀幕に復帰します。かつてのスター女優は北海道札幌市内で正派五條流宗家家元、五條珠淑として今も舞台に立ち、後進の育成に励む凛とした老婦人で、粋に着物を着こなす姿は見る人に新たな感動を与えました。(写真は元記事参照)コケティッシュな親しみやすさを演出したかつての美少女が、とても“下の存在と見なす”ことができるとは思えないポテンシャルを秘めた稀有な存在であったことが伺えます。

実際にスターを目の当たりにすると普段「かわいい」と表現されるような少女からも、威圧的なほどの派手なカリスマオーラが放たれていることはままあることですが、そこを上手にコントロールし、あたかも“庇護するスキ”があるような小動物性を自然に演出できるセルフプロデュース力こそ、古今東西トップアイドルに共通していることかもしれませんね。

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【参考】

※ アイドル国富論: 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く-境 真良 (著)

※ 幻の近代アイドル史: 明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記 (フィギュール彩) - 笹山 敬輔 (著)

※ 91歳で銀幕復活!「ムーラン・ルージュ」の明日待子 - ZAKZAK

※ 94歳今も「健在」 横浜が生んだ大女優・原節子 - カナコロ

(星野小春)