どうも、服部です。引き続き、旅行ドキュメンタリー映画のナレーター兼監督「ジェームス・A・フィッツパトリック」の作品を元に、昔の世界を紹介していきたいと思います。 今回は1933年(昭和8年)の中国・北京の日常を撮影したものです。

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■THE IMPERIAL CITY(帝都)


タイトルは「THE IMPERIAL CITY(帝都=著者訳)」です。「中国という、紀元前2300年ごろに文明が起こった、アジアの眠れる巨人」と紹介されています。

まずは北京駅が映し出されます。現在の北京駅とは違う場所にあり、この駅舎は現在、鉄道博物館になっているようです。

ナレーションの説明によると、当時の北京は(外国人に?)「パイキン」または「ペキン(ピキン)」と呼ばれていて、この動画では「パイキン」と呼んでいます。ちなみに、この動画の5年前、1928年に南京に遷都されているため、この当時は北京は首都ではなく「北平」と改名されていました(北京の「京」は都の意味なので)。

冒頭の写真は、駅前にある「箭楼」です。北京城の防護用の防御門として建てられたもので、現在も残っています。通りを見ると、馬らしき動物が列をなして歩いています。その他には人力車と歩行者だけが見え、自動車などは走っていないようです。

場面は変わって路面電車が走る通りです。後ろから電車が走ってきますが気付かないのか線路上を歩いている人たち。ぶつかりそうになる寸前で場面が切り替わってしまうので、この後どうなったのか気になります。

葬式の一行が通ります。カメラに向かって手を振っていくオジサンがいたりと、わりと和やかな雰囲気に感じられます。「中国では生よりも死のほうが重要とされる」とナレーションがありますが、中国の「死後は生の延長上にある」という死生観についての説明かと思われます。

薄汚れた男性二人が映し出されます。「貧困層も多く見られますが、世界の人口の約5分の1が中国に住んでいるとこを考えれば、納得がいきます」とナレーション。

土煙が出ないよう、道路に水をまいている整備員らしき人たちに対しては、「1世紀前と変わらぬ手法でやっています」と皮肉っています。

北京の寺などの観光地案内は割愛して、カメラは路上で洗髪をしている少年を捉えました。

次の場面では、同じ少年がカメラに照れながらナイフを研いでいます。どうやら路上の床屋さんのようです。辮髪(べんぱつ)にしているのでしょうか、頭髪を一部を残して剃りあげています。子供ながらに、なかなかのテクニックです。

取材陣一行は北京から列車で40マイル(約64km)離れた、北京観光のハイライトである万里の長城へ向かいます。その間に中国の古来の風習について触れています。

・「女性が足を小さく見せるために、赤ちゃんの頃から足の甲を縛り付けます。幸運にもこの風習は、とうの昔に禁止となりました」
・「小さい子供はカメラを嫌がります。彼らは写真を撮られることで心を奪われると信じているのです」
・「子供だけでなく、年長者もカメラを向けられることを快く思っていないようです」

列車は万里の長城から数マイル離れたところに到着。ここからはロバに荷物を運ばせて歩いていきます。長くきつい上り道ですが、「世界の7不思議」の1つである万里の長城を観に行くのです。

そしていよいよ到着。辮髪(べんぱつ)の男性らが階段を上がってくるのが映し出されています。ざっくりと万里の長城についての説明がされると、映像は終了です。



■"GHOSTS OF EMPIRE" Peking(北京『帝国の亡霊』)


こちらは「ジェームス・A・フィッツパトリック」作品ではなく、William m.Pizorという監督による1931年(昭和6年)の作品です。タイトルは「"GHOSTS OF EMPIRE" Peking(北京『帝国の亡霊』=著者訳)」。

「ジェームス・A・フィッツパトリック」作品と内容がかぶるところもあるので、興味深い場面をかいつまんで紹介します。

道端に座り、捨てられたタバコから新しいタバコを製造している少年です。午前中にタバコを拾い集め、午後にはこうして新しい紙に巻き替えて1パック5中国セント(現在価値は不明)で販売しているのだそう。

「このオープンエアーのカフェは、主に貧しいクーリー(単純労働者)たちに使われていて、チョプスイ以外のどんな料理でも食べられます」とナレーション。チョプスイはアメリカに渡った中国人たちがアメリカ人の口に合うよう考案した料理(日本でいう「中華丼」のようなもの)なので、中国にはないという意味です。

この男性は木の枝に鳥を載せて持ち歩いています。「中国ではペットとして鳥、特に鳴鳥が好まれているようです」とナレーション。

暗くて見えにくいですが、占いの館のようです。ほとんどの中国人は、大事な物事をする前に占いをしてもらうのだそう。

猫を抱いた女性が出てきます。ナレーションは「現在では多くの中国人女性は自然体の足になりましたが、いまだ太古の風習に従っている女性もいます」と言います。何のことかというと「纏足(てんそく)」についてです。

前出の「ジェームス・A・フィッツパトリック」の映像では、女性が足を小さく見せるための風習は「とうの昔に禁止になった」と紹介していますが、確かに清朝時代に禁止にされたようですが、風習はなくなっていなかったのです。

この「纏足(てんそく)」ですが、中学校の国語の授業(多くの教科書に掲載されていたとのこと)で魯迅の「故郷」を習った方は覚えていますでしょうか。

「故郷」の文中に出てくる『(豆腐屋さんの女性が)まるで飛ぶように馳け出して行ったが、あの纏足(てんそく)の足でよくまああんなに早く歩けたものだね』(青空文庫)と主人公の母親が言う場面がそれです。実際にはどのようにしていたのでしょうか。

猫を抱いていた女性の足もとを見てみると……、靴の横幅がとてもスリムなのが分かります。

靴を脱いでもらうと、足がテーピングでぐるぐる巻きになっています。さらに、このテーピングをはずしてもらうと……、

足の親指を除く4本の指が、足の裏の方に折れ曲がっています。痛々しいですがこれが通常の状態です。魯迅の「故郷」にあるように、このような足で早足するのはとても大変そうです。Wikipediaによると「小さい足の女性の方が美しいと考えられたこと」にはじまり、「3 - 4歳になると木綿の布で足を縛り、発達を抑える」ようにした風習であったということ。

さらに「纏足で走行不能となったことで、災害時には男性より死亡率が高かった」とも。そもそも「女性支配の手段」として始まったといわれるこんな風習が残る国が、この十数年後に全人民が平等であるという共産主義に移れたのは、考えてみると驚異的なことだったんだと思い知らされます。



いかがでしたか?最後の「纏足(てんそく)」の風習はとても衝撃的でしたが、数千年と続いた帝国支配が終わり、均一化を目指した共産国になる前の貴重な中国が垣間見られたかと思います。このような映像が残っていることに、感謝したいですね。

(服部淳@編集ライター、脚本家)