どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は以前も紹介した山形市の公式YouTubeチャンネルから「笹谷トンネル」というタイトルの映像をピックアップしました。制作年は昭和35年(1960年)頃ということで、56年ほど前に撮影されたものです。

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まず、地図が映し出されます。中央付近、縦に引かれている一点鎖線(破線と点線の組み合わせ)が、山形県(左)と宮城県(右)の県境で、東北地方を南北に連なる奥羽山脈もこのあたりに位置します。上部を横に走る黄色の線が、この後紹介される山形県と宮城県を最短(当時)で結ぶ道路「笹谷街道(仙台川崎山形線)」です。古くから往来のあった道路だけに、道幅は狭く、当時は未舗装です。

「山形市街から10kmほどの新山や関沢には、古くからの宿場の姿や関所の跡も見られます」とナレーション。この細い道にもバスやトラックが走っていたのですね。ちなみに関所とは「有耶無耶(うやむや)関跡」のことで、鬼の伝説で知られていた場所だそう。恐ろしや。

ここまでは難なく来られても、ここからは標高905mの笹谷峠を越えなくてはならないようで。霧が立ちやすく、昔は迷って命を落とす人もいたそうです。「南無阿弥陀仏」と刻まれた慰霊碑らしきもあります。

「近年、道路はだいぶ良くなりました」とのことですが、バスがギリギリ1台通れる幅ですし、勾配もきつそうです。このカーブではバスは曲がりきれず、女性車掌さんがバスを降り、バックの誘導をして切り返します。

比較的新しそうな橋を、荷物を満載したトラックが渡っていきます。近づいて見ると、屋根の上に3人乗っています(※冒頭の画像)。危険ですが、おおらかな時代でした。

雪で覆われた笹谷峠です。こう見えて4月上旬だそう。数メートルの距離を開けて立つ山形県と宮城県の県境標識。この峠は、12月から5月末まで交通は途絶えてしまうのだそうです(現在でも冬期通行止。昨冬は11月6日から4月22日まで)。

雪解けし6月、ツツジが咲き競う時期になると……、それを求めて多くのハイカーが訪れてくるようです。で、このハイカーたちが歩いているのが、昔の峠道とのこと。なるほど、「近年、道路が良くなった」というコメントにようやく納得。

場面は変わって、現在でも東北有数の漁港である宮城県の塩釜港です。水揚げされた魚が積み上げられています。山形方面で食べる鮮魚の大半は、ここ塩釜港から運ばれるものなのだそうです。

樽詰めにされた魚介が次々に運ばれていきます。ナレーションによると、ここから山形への輸送は、「担ぎ屋さん」の手によって仙山線(仙台と山形を結ぶ鉄道路線)で運ばれるものと……、

トラックで関山峠を迂回するルートの2つがあるそうです。説明はありませんが、関山峠経由なら、笹谷峠経由と違い冬場でも通行できるということなのでしょう。しかし、関山峠ルートを使うと、86kmもの距離があるのだそう。

いつものようにgoo地図を切り取って位置関係を確認すると、右端の赤い下線の塩釜港から左端の山形駅(山形市)まで行くにあたり、関山峠を経由するといかに遠回りになるかがわかります。

「笹谷峠をトンネルで通せば、この悩みもいっぺんに解消してしまいます」とナレーション。実は、すでに峠の北にあるこの山を貫くトンネル工事の計画が浮かび上がっていたのだそうで。

山形県側の入り口予定地に立てられている札です。こちらは宮城県側、柴田郡川崎町の入り口予定地。完成すると全長1650mになるそうです。

昭和35年ごろの山形市街の様子を捉えたものです。トンネルが完成すると、仙台市までは約51kmと、峠を回っていくより10kmほど縮まるとナレーション。

峠を越えた宮城県側の麓にある笹谷という集落だそうです。のどかですね。この笹谷にも、仙台からのバスが通っているとナレーションは伝えています。山形~仙台間のバスは、山形交通が1952年(昭和27年)に運行を開始していましたが、先ほどの鮮魚運送トラックと同様、関山峠経由のものでした。

笹谷トンネルが完成すれば、山形~仙台間はわずか1時間半で結ぶことができるし、笹谷まで来ているこのバスも、きっとルートを山形まで延長するはず。そんな意図が伝わってきます。

「となりのトトロ」でネコバスが走ってきそうな道路ですね。癒やされます。

「仙南(仙台に南接してある地域)観光の基地、川崎町」の中心部でしょうか。昭和30年代の雰囲気がよく伝わるカットです。「陸前川崎驛(駅)」と右書きで書かれています。かなりの年代物です。

特に町についての紹介があるわけではないですが、貴重な映像です。女性の顔がアップになっているのは、「除草剤」の広告のようです。左手前には靴ののぼり広告、その奥には公衆電話・電報のホーロー看板も見えます。

所変わって、昭和35年頃の仙台の様子です。

さらに場所は変わり、スキー場としても高名な蔵王の東麓(とうろく)にある宮城県の青根温泉へと移ります(川崎町にあるので、戻ってきたということですね)。

「笹谷トンネルは蔵王有料道路(著者注:昭和37年開通の「蔵王エコーライン」)ともつながって、観光道路としての役割も大きく担うことになります」とナレーション。是が非でも完成させなくてはいけないのだという心意気が伝わってきます。温泉旅館街を走るバス。結構、建物スレスレです。

青根温泉を西へ行けば「峩々温泉」があり、蔵王を超えれば山形へもつながり、笹谷トンネルが完成すればどれだけ素敵な未来が待っているのでしょうと訴えかけています。

一方で、日本海側有数の港、山形県・酒田港からは、「六十里越街道」が内陸部に向けて通っていて、全国有数の稲作地帯である庄内平野にある鶴岡市や、現在も独特の多層民家が残される田麦俣(たむぎまた)を通り、月山(がっさん)の麓を巡って、山形市のある村山盆地(山形盆地)へとつながっています。

つまり、笹谷トンネルが開通すれば、塩釜港の太平洋から「六十里越街道」を結んで日本海までつながるという、大きな役割も担っているのです、というナレーションで映像は締めくくられます。

これだけ笹谷トンネルの必要性がわかっていながらも、トンネル建設は一朝一夕にはいかず、Wikipediaによると、「建設中は異常出水に常に悩まされ、『1m掘るのに100万円かかる』と呼ばれるほどの難工事」だったそうで、完成は1981年(昭和56年)、この映像制作のおよそ20年後のことでした。

引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



【動画】「山形市広報フィルム『笹谷トンネル』」