■ オタクとアイドル

『オタク』という言葉が示す人物像は多岐に渡る。アニメオタク、漫画オタク、ゲームオタク、アイドルオタク、etc…。

かつてはひとつのジャンルに精通した生き字引のような人に対するリスペクトであったり、いつまでも子供向けの趣味から卒業できない者に対する蔑称でもあった。昨今ではサブカルチャー全般が市民権を得てきたのもあり、さほど差別的な意味合いでは使われない代わりに、ディープな知識を持たずとも何かを愛好していれば『オタク』と自称したり、呼ばれることが多いように思う。

私は子供の頃から徹底的なインドア派で、ほとんど外で遊ばずに家でアニメを見たりゲームをして過ごす自他共に認めるオタクであった。今となっては大したことはないが、学校単位ではそれなりのオタク知識があるほうだったと思う。紆余曲折あったがそのまま趣味が高じてイラストレーターになり、アニメやゲームに関わる仕事をするようになったと言って良いだろう。

さて、そんな自分がオタクに向けた仕事をするようになってどうなったかというと、今までのように素直な気持ちでアニメやゲームに触れることができなくなった。裏側を知ってしまったわけだ。どのような業界でもあることだと思うが、私は趣味に対する思い入れが強すぎて依存するタイプで、現実を知ってしまうと没頭できないのだった。

とはいえ創作することは苦しさもあるがそれ以上に楽しく、作り手としての喜びが趣味を失った穴を埋める形になっていた。

ただ、やはりマンネリというものはあって、仕事に行き詰まったときやスランプに陥ったとき、どこで発散すれば良いのか悩む日々が続いていた。洋服を買いあさったり、浴びるように酒を飲んだりという、ともすれば破滅的な行動に逃げることも多かった。このままではどんどん磨り減って行くだけだ、なんとか活路を見出さなければ… と思いつめていたそのとき、まさに自分を救ってくれたのが『アイドル』だった。

前置きが長くなってしまったが、このコラムで扱うのは『アイドル』であり『アイドルオタク』である。かつて『オタク』だった自分を救ってくれた『アイドル』と『アイドルオタク』とは一体どのようなものなのか?

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■ ローカルアイドルとの出会い

昨年の8月、地元名古屋の老舗メイドカフェ「Ms’Melody」の新制服をデザインした縁で、Ms’Melodyの主催する常連客向けのイベントにゲスト出演したのだが、その時にステージで共演したのが名古屋大須を拠点とするローカルアイドル「OS☆U」だった。アイドルというものにまったく興味がなかった私だが、せっかくなので客席の後ろの方で彼女達のパフォーマンスを見ることにした。正直なところまったく期待をしていなかったばかりか、ともすれば「所詮こんなものだな」と偉そうに批評する前提で見たのだが、これが思いのほか良かったのである。

ここではアイドルとしてのOS☆Uのポテンシャルに言及しないが、では何が良かったのかというと、これもはっきり言ってしまうと「距離の近さ」だった。会場が小規模なライブハウスだったせいもあり、可愛い衣装を着た女の子が一生懸命に歌って踊る、それそのものを真近で見ることができた。アイドルといえば、大きなホールで遠くから見たりテレビで活躍する姿を眺めるだけの文化だと思っていた自分には、充分な刺激だったのだ。

直後に演者としてステージで軽くトークがあり「とても良かったのでライブ見に行きます」と社交辞令にも受け取れる台詞を言う私に対し、「是非来て下さい」と言われれば行かないわけにはいくまい。彼女達もまさか本当に来るとは思っていなかったようだが、二週間後に行われたOS☆U定期ライブに実際に足を運んだ。

■ 初めての接触と、呼び起こされるオタク

OS☆Uの定期公演は期待通りの楽しい時間だった。さすがに一人では心細いので友人何人かと連れ立って行ったわけだが、皆初めてのアイドルライブに興奮覚めやらぬ様子で、この時の友人全員今でもOS☆Uを応援している。

さて、ライブの後に知ったのがいわゆる「接触」と呼ばれる物販システムの存在である。AKBグループなどでの大規模な握手会は、知識としては一般にも馴染みのあるものだと思うが、ローカルアイドルや地下アイドルなど中小規模のアイドルでは、ライブ後にCDなどのグッズを買うことによりその場でアイドルと握手や写真、ポラロイドカメラであるチェキでの撮影ができる、といったビジネスモデルを採用しているところが多い。

OS☆Uでは「ふれあい握手会」と呼ばれているが、グッズを買うごとにもらえるチケットによって制限時間内にメンバーとの会話や撮影ができるといった形だ。制限時間といってもおおよそ一分程度なので、熱心なファンは何回も列に並び直して目当てのメンバーとの交流を楽しんでいた。

私はというと、ライブに行くだけでもそれなりのハードルを越えた感があるのに、30歳を超えた成人男性がこういったものに参加して良いのかという大きな迷いもあったが、せっかくだし、記念に、などと自分に言い聞かせながら列に並んだのである。基本的にはメンバー毎にレーンが形成されていたのでどの子に並ぶかも非常に迷ったのだが、建前上リーダーが無難であると思い当時チームリーダーだった蝶野晶美さんを選んだ。(OS☆Uはグループ内でのチーム分けがあり、蝶野晶美さんはイベントで共演したチームのリーダーだった)

15分ほど並んでいよいよ握手だという際、これはもう自分でも驚くほど緊張してしまっていた。とにかく良かったとか、また来ますとか当たり障りないことを早口で言って、肝心の握手も本人に言われるまで手を差し出せなかった。

とにかく恥ずかしくて制限時間が終わるか終わらないかという瞬間に早々に立ち去ってしまったのだが、なんだかそんな自分が客観的にとても気持ち悪くて情けなくて、しかし決して嫌な気分ではなく、心地よかったのだ。

年端もいかない少女に対してしどろもどろになっている自分。とても複雑な感情だが、かつてアニメ、ゲームオタクで日陰者、周りから気持ち悪く思われていた(実際に言われたことも多々ある)自分、逆に言えば気持ち悪いと思われてでも没頭できるものがあった自分が、大人になって何食わぬ顔で趣味を仕事にし、社会的立場も得て、気持ち悪いと言われることもなくなり(ツッコミたい人もいると思うが一旦置いておいて欲しい)しかしそんな自分に何か空虚さを感じていた。自分がいびつになれるほどの何かを欲していたのである。

そしてアイドルとふれあっている自分の姿を客観的に見たときに確信を得たのだ。「自分が失っていたのはこの感情だ!!!」

■ オタクは何度でも救済される

以後、私はトチ狂ったように様々なアイドルに触れ、様々なアイドルオタクの姿を目の当たりにすることとなる。

もともと子供のころオタク趣味に没頭していたのも、いわば現実からの逃避であった。現実に居場所を見出せなかった私が見つけた理想郷がアニメでありゲームだった。大人になり、虚構は虚構であると知ってしまい、かわりに現実での居場所を獲得した自分。しかし、オタクとして育った心は彷徨い続けていた。オタクはオタクとしてしか生きられないのだ。

子供の頃の私はオタクとして救済され、30歳を超え中年に差し掛かった私も再度オタクとして救済された。

もちろんアイドルも虚構の一種であり、表に出ないアイドルひとりひとりの人格を知った場合、同じように楽しめない可能性もあるし、実際に裏方に携わる方々だとアイドルに夢を持つのも難しいのかも知れない。しかし今自分にとってはアイドルの裏にあるひとりひとりの人生すら魅力的に思える。他人を応援できることへの喜びを感じている。そして私が今、アイドル文化に最も魅力を感じているのはアイドルとアイドルファンの応援の関係性だ。

オタクの世界で自分の夢を育てていた自分だが、人生の全貌が見えてきて無責任に夢を見られなくなった今、他人の人生を応援することに価値を見出しているのは皮肉かもしれない。しかし、少女が主人公の夢物語に味方の一人として登場できるのであれば、そんな素敵なこともないと思ってしまうのだ。

まだまだ書きたいことは多いが、今回はこれにて締めとさせて頂きたい。

(文:岸田メル / xxx of WONDER)