こんにちは。近代芸能史を彩る美女達ををご紹介しております星野と申します。今回は、大手プロダクションにスターになるべく育成され華々しいデビューを飾る予定だった美少女が、思いもよらない不運に見舞われ、その後波乱万丈な人生の末、東京の港区の一等地に商業ビルを複数所有するカリスマ不動産投資家になった数奇な運命を『100戦無敗の不動産投資術 元アイドルが独学で数十億の資産を築いた秘密』(沢田 富美子著・角川書店)を参考にご紹介します。

みなさんは、日本が参加をボイコットしたモスクワオリンピックのことをはご存知ですか? 1980年に行われたモスクワオリンピックですが、その前年に起こったソ連によるアフガン侵攻に反発する形で米国が不参加を表明。それに追従した日本政府が補助金カットなどの圧力をかけ、屈する形で日本オリンピック委員会が不参加を決めたと言われています。この大会でメダルを取ることを期待されていた柔道の山下泰裕選手、レスリングの高田裕司選手をはじめとする、日本選手団の悲劇はメディアでも何度かクローズアップされましたが、実は、ある美少女アイドルも、そんなモスクワオリンピックボイコットに人生を狂わされた1人でした。

その美少女の名前は沢田富美子。美しさと愛らしさを兼ね備えたスイートな笑顔と伸びやかな歌唱力、華奢でありつつ豊かな胸と小鹿のような脚、上品で朗らかなキャラクター……。アイドルとして申し分無いポテンシャルを持ち、渡辺プロダクションが超一流のスタッフを付けて、満を持して芸能界に送り込んだ金の卵でした。

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彼女は1980年開催のモスクワオリンピックのイメージキャラクターに選ばれ、1979年に放映されたモスクワオリンピックのマスコットキャラクター主役アニメ『こぐまのミーシャ』の主題歌『ノルマーリナ・ミーシャ』をリリースします。作詞は阿木燿子で作曲は宇崎竜童という山口百恵の全盛期を支えた黄金コンビ、時代のヒロインになるべくして育成された美少女のための、大規模プロジェクトになるはずでした。

ところが、そこへきてまさかのモスクワオリンピックのボイコット。多額の費用をかけたスター誕生プロジェクトが白紙になります……。とはいえ、プロダクションがこれだけの逸材を眠らせておくわけはなく、81年には仕切り直し『ちょっと春風』で、再デビューします。

下記の動画でも分かるように(動画は元記事参照)、冒頭から爽やかに響く「肩先揺れるなあ~~がい髪ぃ~」の「あ~~」という高音が美しく、甘やかなルックスと相まって非常に心地よい歌声です。音楽大学卒業生が多いNHKの“うたのお姉さん”的な品の良さで、フリや仕草もキュートで初々しく、キラキラした瞳がお人形のようですね。レコード会社は当時のCBSソニー・レコードで、デビュー曲がいきなり雪印アイス『ポップアップ』のCMソングに、沢田富美子本人もCMに出演します。当時の彼女が、渡辺プロダクションの掌中の珠として大切に送り出されたことが伺える高待遇です。

ところが、1981年という年は、アイドルにとってはタイミングの悪い“狭間の年”となってしまいました。まず、モスクワオリンピックの件で沢田が出遅れているうちに、80年に松田聖子が『裸足の季節』でレコードデビュー。いきなり予想外のヒットを飛ばし、一躍スターの座に躍り出ます。その対抗馬として、妹キャラの河合奈保子が『大きな森の小さなお家』で歌手デビューし、80年のうちに、2強体制が出来上がってしまいました。

当時の2人の勢いがよく分かるデュエット姿が『YouTube』に残っていました。(動画は元記事参照)一見、歌うパートやフリがあぶなっかしく見える松田聖子の愛嬌と、それを支える河合奈保子の抜群の安定感も含め、美少女アニメーションのような“萌え”満載の動画です。キャッキャとはしゃぐ仲良し女学生のようで微笑ましく見えますが、甘い歌声を響かせながら「トチッても愛嬌に変える聖子」と「それをカバーできる腕を見せつける奈保子」の、目の奥に隠された火花が垣間見えそうな貴重な映像です。

インターネット上の、80年代アイドルファンサイトをいくつか検索してみると、沢田富美子がブレイクしなかった理由として、「完璧すぎる」という特徴をあげる方が複数いることに気がつきます。松田聖子と河合奈保子が先にスターになったことで、“隣の家にいそうな、かわいく庶民的で歌のうまい女の子”にググッと注目が集まり、見るからにお嬢様で洋風の目鼻立ちをした大人の美人、沢田富美子はトゥーマッチだという価値観が、目に見えないムードとしてジワジワと広がったのかもしれません。

庶民的と言っても、河合奈保子の容姿や歌唱力が沢田富美子より劣るということではありません。しかし、河合奈保子には“歯並びが良くない(治していない)ところが親しみやすい”というわずかな隙がありました。同じ美少女でも沢田富美子には、そういった少しだけ崩れたとっかかりの部分が乏しく、「手が届きそうな女の子」がヒロインの時代には不利な存在でした。「華の82年組」と呼ばれる、堀ちえみ、小泉今日子、中森明菜は、80年に松田聖子が作り上げた庶民派流行りの空気をじっくり読んでから送り出されたように、揃って“下町のかわいい女の子”風です。

売れっ子ぞろいの80年組と82年組に挟まれた沢田富美子は『レコード大賞新人賞』にノミネートされたり、その恵まれたスタイルを生かしてグラビアに登場するなど、一部のファンには熱狂的な支持を受けますが、時代のヒロインになるためのタイミングは、一度ズレたら二度とは戻りませんでした。

加えて、ご本人の著書である『100戦無敗の不動産投資術 元アイドルが独学で数十億の資産を築いた秘密』を熟読すると、ハングリー精神の薄さも垣間見えます。同書を読むにつけ「なんがなんでもスターになって田舎に錦を飾る」的な泥臭さは皆無で、箱入り娘のような、どこか浮世離れしたふんわりした存在感が浮かび上がってきます。

「どうぞお先に……」と可愛らしく席を譲っているうちに、少しづつフェイドアウト……そんな風に彼女のアイドル人生は、5年で終わりむかえます。厳格な父親が「そろそろ潮時では……」と事務所関係者と話し合う形で、アイドル沢田富美子の活動は幕を閉じました。失意の彼女は、かつての同級生であった松田聖子が大スターとして君臨する日本に居続けることに辛さを感じて、海外留学を決意します。

ところで、時代は少し戻りますが、後にカリスマ不動産投資家となる彼女の、経済や不動産への素養は、子供の頃から密かに育まれていました。幼い頃からリカちゃんハウスが大好きで、小学校時代にはドールハウスでは物足りず、実際のモデルルームを見学して回るような不動産オタクになった彼女の好奇心に興味を持った父親は、毎日、学校に行く前に日経新聞を音読させて英才教育を施します。

自伝によると、沢田富美子はアイドル時代事務所に大切に管理され保護下に置かれていました。男女交際などもっての他で、女友達を作る時間もなく、移動の時すらスタッフに守られている。年頃の女の子としてはストレスのたまる環境だったとも言えます。ストレスのはけ口として、なんと彼女は19歳にして祖父の遺産で2500万のワンルームマンションを2戸買い、その時購入した5000万の物件を転売した際に、800万の利益を得ています。ストレス発散がブランド物の購入でも甘いものを食べるでもなく、不動産投資とは、もはや彼女にとって不動産投資は、仕事でもお金儲けでもなく、強烈に惹きつけられる趣味であることがよくわかります。

時代は変わって22歳、アイドルとして挫折し、パリとニューヨークに留学した彼女は、アートディーラーとして起業してしまいます。時はバブル、時代の後押しもあり飛ぶように絵が売れ、閉鎖的なアイドルから一転、海外を飛び回る生活に様変わりします。そんな中彼女はパリのレストランで、2人組の男性に声をかけられます。1人は後にフランスの財務大臣になった人物で、もう1人は日本のビジネスマンでした。若き2人のエリート男性と友人になった彼女は、その時の日本人男性に、自社ビルのアートコーディネイトを頼まれたことがきっかけで恋に落ち、生涯のパートナーとして一緒に暮らし始めるのです。

恋愛がタブー視されていた環 境で、恋することにすら罪悪感を持っていた彼女にとって、愛し愛される相手と何の後ろめたさもなく一緒にいられる日々は幸せの絶頂でした。2人の新居で仲良く暮らし、待望の子供まで授かり、順調に思えた彼女の人生を、残酷すぎる青天の霹靂が襲います。

妊娠7ヶ月のある日、待望の赤ちゃんを心待ちにしていたパートナーが、突然病に倒れます。病名は、末期の食道がん。あまりのショックに倒れた彼女は、身重の体で彼と同じ病院に入院します。看病のストレスもあって衰弱してゆく彼女は、一時は出産すら危ぶまれましたが、奇跡的に健康な男の子が誕生します。しかし、パートナーの男性は、子供の誕生と交代するように、壮絶な闘病の末、寒い冬の日に息を引き取りました。

茫然自失状態の彼女は、生まれたばかりの赤ん坊を抱えて酷い絶望状態に陥ります。食べることもままならず栄養剤で命をつなぎ、死にたい、死にたい……と頭の中で繰り返しても、愛息を残して死ぬことも許されず。「何故、誰もがいつかは死ぬのに、苦しんで生きなくてはならないのか? 」誰にも答えの見つかりようのない問いを繰り返す空しさの中で、ただ、のたうちまわる日々が、思いのほか長く続きました。

ある日、消耗しきった彼女を心配したクリスチャンの友人が、牧師の声が録音されたテープを彼女に渡します。「恐るな。恐るな……」とひたすら繰り返すそのテープは、何故か彼女の心を平穏にしました。繰り返し聞きすぎて、ついにそのテープが切れた時、いよいよ死のうと立ち上がった彼女のもとに、偶然訪れたその友人が、彼女を抱きしめます。その瞬間「恐るな、恐るな……」という言葉がこみ上げてきて、圧倒的な恍惚感に全身が満たされ、そのタイミングをきっかけに生きる気力を取り戻します。近しい人と死別した人が悲嘆(グリーフ)から立ち直るために通る、長く苦しい過程を乗り越えた彼女が、癒された瞬間でした。

それから、彼女の人生は再び動き始めます。牧師のテープの影響で聖書を読んだり、子供の頃からハマっていた不動産投資をすることを、リハビリとして始めた彼女は、かつて最愛の人とデートをした思い出の麻布十番の角地に売り地がでていることを聞き、その土地に足を運んで一目惚れをします。

まだ麻布十番駅も、六本木ヒルズも無い時代ですが、一目見て、気になる土地だと直感した彼女が役所に出向いて調べたところ、再開発が進んでいて地下鉄の大江戸線や南北線が何年後かに通る予定で、六本木ヒルズも基礎工事も始まっているとのこと。「これはおもしろい! 」と彼女の直感に火が付きますが、当時は日本の景気がボトムで、先の見えない時代。都心の一等地の更地を買うことは危険だと、友人の有識者達の大反対にあいます。

悩んだ彼女が、ふと聖書を開いてみたところ、「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです(エペソ5章16節) 」と「わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える(イザヤ45章3節)」という一節が目にとまります。そんな言葉に背中を押されるように運命の土地を購入したのは2000年。日本の経済が立ち直りかけた激動の時代です。やがて地下鉄が開通し、六本木ヒルズができると、土地の値段は6倍まで跳ね上がります。その後の彼女の快進撃と、シンプルかつ明確な不動産購入のテクニックについては、『100戦無敗の不動産投資術 元アイドルが独学で数十億の資産を築いた秘密』に詳しく記述されています。ご興味のあるかたは是非お手にとってみてください。

アイドルとしては短い活動期間で、今となっては知る人ぞ知る存在になってしまった沢田富美子ですが、もしあの時、日本がモスクワオリンピックをボイコットしていなければ?沢田富美子が松田聖子より先にデビューしていれば……。CBSソニーと渡辺プロダクションが担ぐ最強の神輿に乗って、オリンピックの旗を振るお姫様のような美少女は、“80年代アイドルの傾向”すら変えてしまっていたかもしれません。

少女マンガでも、池田理代子の『ベルサイユのばら』や、一条ゆかりの『プライド』のように、“美人のお嬢様”が主人公の世界観であれば、少女たちは自然と、絵本のお姫様のようなキラキラした存在に憧れを抱きます。一方、いがらしゆみこ作画の『キャンディ・キャンディ』や、神尾葉子の『花より男子』のように“美人じゃないけど可愛い普通の子”が主人公と決まれば、“美人のお嬢様”は当て馬的なポジションに追いやられます。

男性人気もまた然り、境真良著「アイドル国富論」には、

<自分が気後れするような素晴らしい異性を表す“美しい”という表現に比べ “かわいい”は、 庇護してあげたいという欲求を引き起こす。(中略)支配したいという欲求と同義であり、対象を自分より下の劣等な存在と見なすことにも通じている(「アイドル国富論」より)>

という記述があります。アイドルである以上、美しいことには変わりない少女たちが、かわいい、という評価を手にいれるためには、隙、が必要になってきます。

今思うと、彼女をキャラ立ちせるための“隙”の部分を発掘するとすれば、“実は不動産オタク”という、少し変わった性質にあったのかもしれません。しょこたんや市川紗椰のようなオタク美女が活躍する現代であれば、美しくSEXYで、育ちもよく賢く清純で、なぜか本格的な不動産おたく…なかなかいないレアなキャラクターとして、アイドルのみならずキャスターやコメンテイターとしても、活躍したかもしれません。早すぎたオタクアイドルとしても、非常に惜しい逸材だったと思います。

その一方で、波乱万丈な人生の末、愛らしい顔に似合わない、百戦錬磨のおじさん顔負けの大胆な不動産投資テクニックで数十億の資産を築き上げながら、多くの女性実業家の持つ“アクの強くさ”をまったく感じさせない爽やかな美貌のまま、大人の女性として活躍する沢田富美子は、あのまま歌い続けて歌手としての人生を送るより、数倍濃くおもしろい人生を送られているのではないかと想像してしまいます。

■参考図書

※ 参考 - 『100戦無敗の不動産投資術 元アイドルが独学で数十億の資産を築いた秘密』沢田富美子著(角川書店)

※ 参考 - 『アイドル国富論 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く 』境真良著(東洋経済新報社)

(星野小春)