ここ数年“大人のSEXYなお姉さん”代表のような存在になりつつある壇蜜は、自らを“女のパロディ”と表現しています。直球すぎる過剰な色気や美貌・スタイルは時に、胸やお尻をデフォルメしたアニメキャラのように見えて、不思議と人々の笑いを誘います。その反面、自分を完璧なSEXYキャラにプロデュースする客観性や知性は見逃されがちだったりもします。

1950年代のハリウッドで、1m15cmという冗談のようなバストで人気を博した女優・ジェーン・マンスフィールドもまた、まるで男性の欲望をかためて作ったアンドロイドのような肉体ばかりが取りざたにされ、持ち前の知性は注目させないまま、美貌の絶頂で迎えた死に様までドラマチックだった伝説の女優です。

ジェーン・マンスフィールドは、1933年、ペンシルベニア州ブリンモアで生まれました。彼女が3歳の時死亡した父親は有能な弁護士で、母親は教師をしており、彼女自身もIQは163と非常に高く5カ国語を話す才女でしたが、それ以上に身体的特徴のインパクトがありすぎたため、生前あまり内面に注目が集まることはありませんでした。

115cm・53cm・90cmと、アメコミのSEXYヒロインのようなスリーサイズと、愛嬌のある色っぽい顔立ち、いわゆる“ダム・ブロンド(金髪のお馬鹿さん)”に見える容姿を最大限に生かして、アメリカ人男性の妄想そのままの可愛いおSEXYお姉ちゃんを演じきった姿勢は、“自己プロデュースの天才”といっても過言ではないと思われます。

私生活でも気取らない愛嬌たっぷりの三枚目で、とあるパーティーで、やはりグラマーな大女優、ソフィア・ローレンの近づいて「どちらのバストが大きいか」とふざけて勝負を挑むような“見たまんま”の言動で笑いを振りまきました。下記の写真を見る限り、少なくともバストに限っては、この勝負の勝敗は明らかなようですね。横目でジェーンの胸のあたりを凝視するソフィアの視線がちょっと怖いです。
■ この記事の完全版(全画像・動画付き)を見る

ハート型のピンクのお風呂がある自宅“ピンクパレス”にマスコミを招待して写真を撮らせたり、無駄に胸元の開いたニットとミニスカートで料理をしてみせたり、ロバート・ケネディ、ジョン・F・ケネディ兄弟を始めとするお相手との華やかなゴシップで世間を賑わせたり……。

もはやどこまでが素でどこからが戦略か分からない“頭の軽いブロンド”っぷりをこれでもかと見せつけた彼女。そんな女性のIQが160とは、まさに映画『キューティー・ブロンド』を地で行くキャラの立ち具合ですね。SEXYもここまで徹底すると、“女の敵”と嫉妬を受けるより、“女をデフォルメした女装家”を見るような、不思議な気分になります。

同じくSEXシンボルであるマリリン・モンローに子供がいなかったのに対し、ジェーンは3回結婚し、5人の子供にも恵まれました。また、代表作であるコメディ『女はそれを我慢できない』のギャングの情婦役をはじめ、そのルックスに似合った役柄をコミカルに演じ、『気まぐれバス』ではゴールデングローブ賞有望若手女優賞を受賞しており、女優としての浮き沈みはあるものの、仕事も私生活も賑やかなものでした。

しかし、悲劇は1967年6月29日に起こります。運転手と子ども3人、自らの弁護士を伴ってハイウェイを走行中だった彼女の車が、前を走っていた大型トレーラーに激しく激突し、後部座席の子供は助かったものの、前部座席に乗っていた大人たちは全員即死しました。

特にジェーンは首と胴体がバラバラになるという悲惨な状態で、遺体の損傷が激しすぎて、フロントガラスには千切れたブロンドの頭部が乗っかっていた……と言うあまりに衝撃的な光景すら噂されました。(フロントガラスに乗っていたのは頭部ではなくウィッグであったという説もあります)。その時ジェーンはまだ34歳、SEXYさの絶頂での、あまりに若すぎる死でした。

毒々しいまでのショッキングピンクですら力技で可愛く着こなしてしまう、存在そのものがヴィヴィッドな女・ジェーン・マンスフィールドですが、悲しい事に、その最後もまた、ゴシップ誌に取りざたにされるようなインパクトの強いものとなってしまいました。

もしも彼女が長生きをしていたら……持ち前の自己プロデュース力や派手ないで立ち、吹っ切れたユーモアを思うと、輝くような白髪にピンクのドレスを着こなし、キラキラのステッキをついてパーティーに繰り出す、アニメキャラのように可愛い老婦人になった姿も見てみたかった、と思ってしまいます。

【参考】
※ 美女ありき - 川本三郎

(星野小春)