2016年3月31日で、シャープのPDA(Personal Digital Assistant、携帯情報端末)「Zaurus(ザウルス)」のサポートが終了します。

経営再建中のシャープは、台湾の鴻海精密工業(ホンハイ)による買収交渉の最終段階にあると報じられています。そうした背景もあり、ネットではかつてザウルスを愛用していたユーザーによる惜別の声があふれました。今日は、ザウルスが切り開いた「PDA」とその時代をふりかえります。

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■仕事にザウルスひとつ、あとは、いらん!

Zaurus初号機(PI-3000)の発売は1993年。CHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」がヒットし、『マジソン郡の橋』がベストセラーとなった年です。Jリーグ開幕からの「ドーハの悲劇」もこの年でした。


当初ザウルスのCMに起用されたのは、俳優の辰巳琢郎。コピーライターの仲畑貴志による「仕事にザウルスひとつ、あとは、いらん!」のキャッチコピーも大きな話題になりました。以降ザウルスはモデルチェンジを重ねるたびに機能を強化し、国内のPDA市場を引っ張ります。1994年からはCMキャラクターは俳優の橋爪功にバトンタッチ。


■電子手帳=トレンディだったバブル期

時代をさかのぼること数年。バブル絶頂の80年代後半、シャープはライバルのカシオ計算機とともに「電子手帳」という市場を作り出します。吉田栄作と石田純一という、トレンディ二大巨頭が各社のCMに起用されました。

・[TVCM]1989年 SHARP 電子システム手帳 DB-Z 吉田栄作
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・[TVCM]1990年 CASIO スーパー電子手帳 DK5000 石田純一(発売は1989年)
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ザウルスも、もともとはシャープの電子手帳シリーズの発展形として開発されました。が、1992年に発売されたPV-F1は、高価格が祟ったか、イマイチふるいませんでした。

このPV-F1の反省をうけ、「価格と重さを半分に、処理速度を2倍に」を合言葉に、初代ザウルスPI-3000が開発されたのです。


■iPhoneの原型?はシャープ製!

初代ザウルス発売と同じ1993年、もうひとつ、独創的なコンセプトのPDAが登場します。その名はアップル・ニュートン。言わずと知れた、いまではiPhoneでおなじみのアップルによるデバイスです。実は「PDA」という言葉自体、当時のアップルの社長を務めていたジョン・スカリー氏による造語です。画像左がニュートン (MessagePad 2100)。
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「すごい、iPhoneの原型が20年以上前に出ていたなんて、さすがアップル!」と言いたくなるところですが、実はこのニュートン、製造を担当したのは、ほかでもないシャープでした。当時シャープがアップルとライセンス契約を締結し、手書き認識技術の共同研究も行っていたことは、あまり知られていません。シャープはザウルスにこの共同研究の成果を活かしただけでなく、ニュートンテクノロジーを使った自社ブランドのPDA「Expert Pad」を米国で発売しています。ちなみにこのころスティーブ・ジョブズは、前出のスカリーらによってアップルを追放されていました。


■あのとき、確かにシャープは最先端でした

私たちが辰巳琢郎のデキるビジネスマンぶりに憧れていたころ、実はシャープは世界の最先端を走っていたのです。ニュートンの重さが約680グラムだったのに対し、ザウルスはわずか約280グラム。ニュートンは1000ドル(当時のレートで約11万円)という高価格で大失敗していた一方、ザウルスは65,000円で販売され、ガジェッターを中心に支持を集めます。1997年には累計出荷数も100万台に到達しました。

なにを隠そう私DJGBも1995年、ザウルスPI-4000とモデムを購入した元ザウルスユーザーの1人。まだパソコンの珍しかった時代、ザウルスを“グレ電(デジタル通信が可能なグレーの公衆電話)”につないで初めてニフティサーブに接続したときは、まるで盗んだバイクで暗い夜のとばりの中へ走り出したような高揚感がありました(バイク盗んだことないですが)。


時代は巡ります。「電子手帳」から生まれたザウルスは、日本で独自の進化を遂げ、いつしかケータイと同じくガラパゴスに陥っていたのかもしれません。かつてニュートンを製造していたシャープと、現在iPhoneをはじめとした多くのアップル製品の製造を担うホンハイ。はたして2社は今後、どんなビジョンを描くのでしょうか。


(バブル時代研究家 DJGB)


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