どうも、服部です。第二次大戦終了前の日本というと、軍国主義で貧しくて……などと暗いイメージばかりがつきまといますが、実際のところはどうだったのでしょうか。

今回は、1930年(昭和5年)から世界各地の旅行ドキュメンタリーフィルムを世に贈り続け、「The Voice of the Globe(地球の声=記事中訳は著者によるもの)」と呼ばれたナレーター兼映像監督の「ジェームス·A·フィッツパトリック」の作品を紹介しつつ、当時のアメリカの観光映画が日本についてどのように紹介していたのかを見ていきたいと思います。

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タイトルは「JAPAN IN CHERRY BLOSSOM TIME(桜の時季の日本)」。1932年、昭和7年の作品です。フィッツパトリックは、少なくとも4本の日本を紹介する映像を制作していますが、いずれの映像にも桜が登場しています。彼自身も大のお気に入りのようです。

その証拠に、「それぞれの国には、一番美しいとされる季節がありますが、日本ではそれが桜の時季です」という、フィッツパトリックの滑舌の良いナレーションと共に動画は始まります。映し出されているのは桜と富士山、まさに日本を象徴する景色です。

花見をする二人の日本髪をした女性。恐らく演出されているのでしょうが、すばらしく上品に撮られています。こちらは、小さい娘さんと、そのお母さん(若い!)でしょうか、桜の花びらで花飾りでも作っているようです。お母さんの和服にロングヘアーの組み合わせが、ドキっとさせるほどに美しいです。
(※画像は元記事で見られます)

桜についての紹介を終えると、場所は東京へと移ります。正面に見えるのは東京駅中央口のようです。駅前を市電(後の都電)や自動車、人力車らしきが走っています。意外と交通量が多いですね。東京の当時の人口は200万人ほど(2014年時点では約1335万人)だったそうです。

東京駅からアングルを変えると、手前のビルが1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の3ヵ月ほど前に完成した「郵船ビルディング(1976年解体)」で、その奥に見えるのが、同じく1923年に完成し、当時は「東洋一のビル」だった「丸の内ビルヂング(1999年解体)」です。いずれも大正時代に建てられたとは思えない立派な建築ですね。

映像内ではRoyal Palace(天皇の宮殿)と紹介されていますが、現在もほぼ同じ外観が残る「赤坂離宮(現在の赤坂迎賓館)」ではないでしょうか。天皇家は25世紀にわたって日本を統治していると紹介されています(初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年として、昭和15年・1940年が紀元2600年だった)。



「でも日本のこんな近代的な建物を紹介しても、興味は引かれないでしょう」と、いきなり場所は飛んで、山口県岩国市にある日本三名橋のひとつ「錦帯橋」に場面は切り替わります。橋自体は現在とほとんど変わらない感じがしますが、桜とのコンビネーションがモノクロフィルムでもよく映えています。

「そして、この観光映画取材陣が一番お気に入りだった道は……、ここでした」とあります。子供らが日の丸を振って何かを出迎えています。

ぶれていて分かりにくいですが、アメリカの取材陣ご一行が通るのを、子供たちが歓迎しているのだそうです。(子供たちは一生懸命に旗を振っていますが、事情を分かっていたのでしょうか)。

再び場所が変わり、牛車のお出ましです。
日本各地から参拝者が訪れるという神社、日光東照宮の紹介です。細かい説明はないのですが、この牛車が通る道は日光東照宮へと続く参道なのでしょうか?

「日本の歴史を読むと、15人の強力なリーダー、将軍と呼ばれる人たちがいました」と紹介があります。うーん、日本人としては、将軍は徳川幕府だけじゃなくて他の時代にもいるんだけど、とツッコミたくもなりますが、今の時代で反論しても仕方がありません。

「そして、その中でもより優れた将軍は、ここ日光に祀られています」と。。。徳川初代将軍の徳川家康については、特に語られていません。

「こちらが、神主さんの代表的な格好です。神道とは、先祖崇拝と自然崇拝の組み合わせのようなものです」という説明がありますが、だいたい合っているのですかね?

現代とそれほど変わらず、観光ガイドさんが旗を持って客たちを誘導している姿が見受けられます。

心配しなくとも、約80年前の外国人向けの観光映画にも「見ざる言わざる聞かざる」は紹介されています(英語の順番だと「聞かざる言わざる見ざる」となっています。(※私、気になります)

再びぶっ飛んで「鎌倉の大仏」です。高さは50フィート(15.2メートル)、目は4フィート(1.2メートル)などと、細かいディテールが紹介されています。「日本では神道と共に仏教が信仰されているのです」と紹介がありますが、これって、単一宗教であるほとんどの国からは、現在でもなかなか理解してもらえないところでもあります(さらには、結婚式はキリスト教形式でって、昨今はより複雑になっています)。

横浜港です。これがカラーになって、現代の横浜ですといわれても違和感がないような先進的な感じがします。ところで、なぜ観光地をいろいろ巡って「横浜港」なのかというと……。

取材陣が出国するからなのです(次にどこかの国に寄るのでしょうか)。日本からアメリカ間は、船での移動だったのですね(太平洋横断航空路が開かれたのは、この3年後の1935年・昭和10年のこと。アメリカのサンフランシスコ~フィリピンのマニラ間)。映像を見る限り、ものすごい駆け足で回った日本の撮影、本当にお疲れ様でしたという感じです。



いかがでしたか?昭和7年の日米関係は特に問題もなく、まだ平和な時代だったようですね。アメリカ編集チームも実に好意的に日本を紹介していてくれました。引き続き、この頃の日本を紹介していきたいと思います。

(服部淳@編集ライター・脚本家)