年明け早々、日本中を揺るがしたSMAPの独立・解散騒動。
「その電話、誰がどこで聴いてたんだよ!」と思わずツッコミを入れたくなる報道合戦も、メンバーたちの謝罪?生放送で、まずはひと段落となりそうです。ジャニーさんにもメリーさんにもI女史にもツテを持たないDJGBは、ひたすら過去のアーカイブから、この騒動をちょっと違った角度で眺めてみようと思います。

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■SMAPは、デビュー当時、ジャニーズ事務所から“推されていなかった”のか?

報じられているところでは、今回の騒動は、SMAPを下積み時代から支えてきた敏腕マネージャーのI女史が、メンバーを引き連れ独立を画策したことが発端とのこと。デビュー当時、事務所からまともにプロモーションも受けられず、伸び悩んでいたSMAP。もともと事務職としてジャニーズ事務所に入社したI女史は、前任者の退職にともないマネージャーを任されると、彼らをバラエティ番組に売り込み、その才能を開花させた、というのが“よく耳にする話”です。

が、はたしてこのストーリーも、一面的な見方でないと言い切れるでしょうか?
SMAPの結成は1988年4月、CDデビューは3年後の1991年です。I女史がいつからSMAPを担当しはじめたのかはハッキリしませんが、グループ結成直後は別のマネージャーさんがSMAPを担当していたことは確かなようです。
そこで今回は、結成2年目の1989年(平成元年)、SMAPたちがどんな仕事をしていたのか、映像とともにふりかえってみます。


・森永乳業 「SMAP」
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CDデビューすらしていないアイドルグループの名を冠した、その名も「SMAP」というドリンクが発売されていた、という歴史的事実に、平成生まれは驚愕せよ。

・トンボ学生服
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スケートボーイズ(SMAPの前身)時代の前年から起用されていたトンボ学生服のCM。最年少の香取慎吾はまだ小学6年生で、この年の春に中学生に。それにしてもこれ、誰に向けたCMだったんでしょうね。これ見てキャーというのは女の子だし…。

・NHK 連続テレビ小説 「青春家族」
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橋爪功、いしだあゆみ主演のNHK朝ドラに、清水美沙の弟役で出演したのは稲垣吾郎(当時15才)。3年後の1992年、彼は「二十歳の約束」(フジテレビ)で、SMAPメンバーとしては連ドラ初主演、そして最年少(当時18才)の月9ドラマ主演を果たします。

1989年、森且行はドラマ版「ツヨシしっかりしなさい」、木村拓哉は蜷川幸夫演出の舞台「盲導犬」に出演し、またグループとしてもバラエティ番組やラジオのレギュラーも複数スタートするなど、SMAPはなかなか忙しい日々を送っています。


■意外と推されている? そう見えないのは周囲がすごすぎたから。

ふり返れば、グループ結成直後のSMAPは、(その方向性は微妙な気もしますが)けっこう”推されていた”ようにも見えます。1989年のSMAPを取り巻く環境をより理解するため、当時ジャニーズ事務所で活躍していたタレントと、その周辺についても触れておきましょう。

・光GENJI
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当時人気絶頂の光GENJI。7枚目のシングル「太陽がいっぱい」の作詞作曲を手掛けたのは大江千里でした。
この年、紅白歌合戦に出場したジャニーズは少年隊、男闘呼組と光GENJIの3組でしたが、その背後では、デビュー前のSMAPがバックダンサーを務めていました。

・田原俊彦
当時デビュー10年目のトシちゃんは、アイドルから脱皮しトレンディ俳優へ。この年の4月、「教師びんびん物語2」がスタートし、主題歌「ごめんよ涙」もオリコン1位の大ヒット。「ビッグ」発言は、5年後の1994年2月です。

・近藤真彦
マッチにとって1989年は悪夢でした。7月、自宅のマンションで歌手の中森明菜が自殺未遂を起こしたことが発覚。「アンダルシアに憧れて」で新境地を切り拓いたものの、紅白には落選。そして12月31日、いまも芸能史の謎として語り継がれる“金屏風会見”を迎えます。

・男闘呼組
デビュー当時のキャッチフレーズは「ジャニーズ事務所のおちこぼれ」。それでも、SMAPが達成できなかったデビュー曲でのオリコン初登場1位を獲得し、1988年、1989年と2年連続で紅白に出場しています。余談ですが1990年には彼らに代わり、6人組の『忍者』が、デビュー4ヶ月の史上最短記録(当時)で紅白初出場します。


この時期、ジャニーズ事務所にはもうひとつ、頭痛のタネがありました。1988年11月、往年のジャニーズアイドル、フォーリーブスのメンバーだった北公次が、衝撃的な暴露本『光GENJIへ』を出版します。ここで紹介するのがはばかられるようなセンセーショナルな内容に、世間は眉をひそめました。

・北公次 『光GENJIへ…再び』(1989年2月に刊行された続編)


■まとめ:そりゃ、いろいろ大変な年でした。

この1989年には、一時代を築いた川崎万世も退社。ジャニーズ事務所にとっては”ふれ幅”の大きな1年でした。時代はバブルまっただ中。今からふりかえれば、結成直後のSMAPはそれなりの扱いを受けていたようにも見えます。が、それはあくまでも外野の目線。キラ星のごとくの大スターたちと相次ぐスキャンダルの狭間で、SMAPメンバーたちにとっては、あまり構ってもらえない心細さや不安だけが記憶に残っているのかもしれません。

なんとなく、この明石家さんまのコメントがもっとしっくりくるんですよね。

・「SMAP騒動、さんま「知ってた」メリー氏と対面「双方正しい…」」( 出典:スポーツ報知 @SportsHochi より )


(バブル時代研究家 DJGB)


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