どうも、服部です。前回まで8回にわたり、昭和30年代、昭和40年代の日常を、当時の映像ニュースを使って振り返ってきましたが、今回は一気に昔へ飛んで昭和1ケタの日本についてお伝えしていきたいと思います。

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今回参照するのは、「大阪市交通局」がYouTubeにアップしている「大大阪観光」という動画です(※大阪市交通局が販売していたDVD版{上映時間約29分}のダイジェスト映像です。現在は大阪メトロサービスが販売しているようです)。動画は昭和12年に制作され、大阪市営地下鉄開業の昭和8年頃の様子などが収められています。

昭和30年代、40年代の日本を紹介してきて、著者を含め、思っていた以上に発展途上だったということに驚かれた方が多かったようですが、この「大大阪観光」の動画を見てみると、その思いは覆されるかもしれません。

動画はナレーションなしにどんどんと場面が切り替わっていきます。まずは空の交通から。単発のプロペラ機が着陸してきます。「フォッカー スーパーユニバーサル」という飛行機でしょうか。Wikipediaによると、「1929年7月15日に日本航空輸送が東京-大阪-福岡間の定期旅客輸送を開始したが、その際の主力として投入されたのがスーパーユニバーサルであった」とあります。

すでにこの時代に、定期旅客便があったのですね。ちなみに、ここで登場する日本航空輸送とは、現在の日本航空(JAL)とは無関係で、昭和13年に合併により消滅しています。

次は、当時の陸上輸送の要であった蒸気機関車。時代的にC53形あたりでしょうか。ちょっと判別できません。

大阪駅の駅名標です。ひらがな表記は「おほさか」でした。ローマ字は左から右に読み、日本語は右からでややこしいですね。

市電の走る大通りです。街路樹で仕切られた歩道が広々していて、日本の道路とは思えません。

中之島の中央公会堂前でしょうか。船が道路とは逆に右側通行で行き交っています(このあたりから、ようやくナレーション(?)が始まります)。当時の大阪の人口は300万人だったそうです(平成25年の人口は886万人ほど)。

大阪城の天守閣は、昭和5年から翌6年にかけて再建工事が行われたばかりで、まだまだ新築の頃です。

北御堂(本願寺津村別院)前を走る、タクシーと思われる自動車。ちなみに、北御堂(本願寺津村別院)は、第二次大戦の第一次大阪大空襲(昭和20年)により全焼したそうです。

現在も残る、難波橋と獅子像。

桜と大阪城。美しい組み合わせです。



こちらが、昭和8年開業で日本初の公営地下鉄となった、梅田と心斎橋間(昭和10年に難波まで延伸)を結んだ路線(現在の御堂筋線)。ホームの電灯もなんだかお洒落。ちなみに、日本初の地下鉄は、昭和2年開業で上野~銀座間を結んだ銀座線でした。

運賃が高額だったのか、それとも撮影用に人が選ばれたのか、上品そうなお客さんばかりが目立ちます(画像右側で立っている着物の女性の美しさに、何度も見返してしまいます)。左側で直立不動になっているのは、車掌さんでしょうか?

車内の貼り紙には、二月一日より地下鉄運輸開始というようなことが書いてあります。

「心斎橋」の駅名標です。前後に「本町」と「難波」。

心斎橋で降りる乗客たち。こちらの駅でも同じ電灯です。

駅には、開業時からエスカレーターが設備されていたそうですが、戦争時に撤去されたのだそう。戦争が時代を逆戻りさせたのでしょうか。

見るからに紳士という男性が、若い女性に席を譲っています。今の世では、何だかの理由がないと人に席は譲らなくなっていますが、こんな余裕が欲しいものですね。

車内の中吊りです。とても読みにくいのですが、「梅田難波間開通 快速 3分毎に」のように書いてあるかと思われます。

車内の電光掲示板でしょうか? 「次ハ」で「難波」が他よりも明るくなっているように見えます。昭和初期とは思えないハイテク(?)サービスです。 

難波駅の地上出口のようです。難波駅ではなく、難波停留場というように呼ばれていたのですね。

こちらは、大阪市電の車両です。「アベノ橋」行き。この、右から左へ文字を書くのが基本だというのに、左から右に書いてある場合もあるというのが、現代人にとっては理解不能であります。

【おねがひ】書きです。「乗り降りはお早めに」「荷物は膝の上に」「座席はまずは老幼の方々」の3本です。

みなさん、シュッとした格好をされています。

市電内の電灯もまた可愛らしい。

最後は、南海電気鉄道の難波駅です。

特急や急行と書いてあるだけで、なぜ男子はこうも心躍るのでしょうか。。。

特急出発後の駅のホーム。現代に比べての時代の緩やかさが、なんとなく映像に映し出されているように思えます。



いかがでしたか? 戦前の日本というと、軍国主義で自由がなく貧しい時代、なんて想像してしまいがちですが、大阪は思いの外先進的でお洒落な町でした。この時代についても、引き続き紹介していければと思います。

(服部淳@編集ライター・脚本家)