加藤登紀子さんが歌手活動50周年を迎えられました。

私もパーティという名のライブに出席させて頂きました。

私は、加藤登紀子さんのファンです。
その生きる様が好きです。
表現者としての生き様も好き。

ただのファンだったのに、私の旦那様が加藤さんとお仕事をさせて頂いている事もあり、結婚して加藤さんとお近づきになる事が出来ました。
柔らかいのに強い。
さばけているのに女性らしい。
姉御肌風なのに可愛い。

私が初めてのコンサートをする事になった時。打ち合わせの席で提案されたコンサートの様子に、私なりに自分の意見を言いました。

「衣装はシンプルで、例えば黒。セットもシンプルで、歌を聞いてもらいたい。極論を言えば裸足とかでも良いくらい…」みたいな…

20代の小娘が、大勢のスタッフさんを相手に精一杯話したつもり。
でも、初めて会った、そういう事を企画するのが専門の女性から「それじゃあ加藤登紀子みたいじゃない」と鼻で笑われ、結果、私は銀色のスパンコールで飾られたショッキングピンクのウエットスーツにひっつめた髪の毛にラメを振りかけられたヘアスタイルで登場する…というコンサートを行いました。

言われるままにそうしましたが、やっぱり振り返っても恥ずかしい自分がいました。自分らしくなかったな。

でも、落ち着いて考えた時に、思った事があります。
多分、私にはお客様を惹き付ける「歌」も「姿」も「表現力」もなかったのでしょう。いや、なかった、と本当になかったのかは別にしても、なかったように思われていた、のでしょう。

だから、「歌」うだけ、「姿」を見せるだけ、「動く」だけ、では、コンサートがもたない、成り立たない、と思ったスタッフさんが、あれこれと、私が何もしなくても場がもつように着飾ってくれたのだろうなあ、と。

だから、その時の私には「屈辱」だったファーストコンサートの想い出も、実は、回りの人たちの愛の形だったんだなあ、と。

私が登紀子さんみたいに歌う事が出来る人なら、登紀子さんのような表現者だったなら、あの時、あんな奇抜な衣装も、不思議なダンスも必要なかったのだろうなあ、と思ったのでした。

知らないとは、恐いものです。

何も出来ない小娘が、偉そうな事を発言したもんです。

加藤登紀子さんの歌手活動50周年のパーティーで、最前列で登紀子さんのパフォーマンスを聞きました。
心に響く、心に刺さる、心の震える瞬間が沢山あって、自分が表現者であることを忘れて泣いていました。
胸が震えていました。


こんな人になりたい。
なれないけれど。
もしも、誰か憧れる人がいますか、と聞かれたら、加藤登紀子さん、と答えようと何度も思いました。

私の人生がもう少しで50周年。
藤田朋子。
どこまでの表現者になれるのか。


私らしく、登紀子さんみたいにはなれなくても、私らしく、表現していきたい。



(藤田朋子)