どうも服部です。東京オリンピック(1回目)が開催され、東京を中心に一気に先進化した1964年(昭和39年)の新聞広告を紹介するシリーズ、今回は、日用品・その他と自動車の広告を紹介していきます。

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では、早速見ていきましょう(以下、広告は「朝日新聞縮小版(昭和39年1月~3月版) 発行:日本図書センター」より)。
※商品の企業名は当時のものです。



日用品・その他のジャンル

・自動料金箱取り付け禁止について(日本電信電話公社)
1つ目は、日本電信電話公社(現・NTT)からのお知らせ広告。この年(1964年)の4月1日以降は、新たに「自動料金箱」を電話機に取り付けることは禁止になりますという内容です。なんのことか分かりにくいかと思いますが、この自動料金箱とは、自宅の電話機に取り付ければ、お金(10円玉)を入れない限りはダイヤルできないという装置のことで、自家用電話機を公衆電話のようにして使える装置でした。

自宅に電話を設置するには、設備料(現・施設設置負担金=電話加入権)が必要になりますが、当時の料金は1万円。いつものように国家公務員大卒上級甲種(いわゆるキャリア組)の初任給と比較してみると、昭和39年は1万9100円(国家公務員の初任給の変遷(PDF))だったので、結構な額です。そのため、どの家庭にも電話があったわけではなく、電話を持っていない人は公衆電話を使うか、電話を持っている家に借りにいくということも多々あったのです。貸すほうとしても、高額な金額を払っただけにタダでは貸したくなく、このようなものを取り付けたのでしょう。

・ワリコー/リッキー(日本興業銀行)
続いては、聖徳太士の1万円札が懐かしい、日本興業銀行(現・みずほ銀行)が発行していた金融債権の「リッキー」と「ワリコー」の広告です(※冒頭の画像はその一部)。2007年までみずほ銀行で取り扱われていました。最近はほぼ見ませんが、「ワリコー」やら日債銀の「ワリシン」やら、この手の商品はテレビCMでもよくやっていました。

・定期預金(三菱銀行)
こちらもお金が登場する、三菱銀行(現・東京三菱UFJ銀行)による「預金しましょう」という内容の広告です。広告に使われている硬貨は、1959年(昭和34年)から発行されていた100円銀貨。現在流通している1967年(昭和42年)発行の100円白銅貨の1代前の100円玉です。

・小学一年生(小学館)
次は1925年(大正14年)創刊の雑誌「小学一年生」の広告。51年前の1964年で、すでに創刊39周年というのが驚きです(2015年で創刊90周年)。そんな歴史を伝えるように、俳優でジャズドラマーでもあったフランキー堺さん(当時35歳)の「自分も愛読した雑誌を今、娘が読んでいる」という内容のコメントが掲載されています。しかもサイン入り!

・ナショナル電気毛布(松下電器)
「眠っている間にカラダが健康になる!」と、今のご時世ならアウトな表現になりかねないコピーをうたっているのは「ナショナル電気毛布」の広告。

下部の広告文には、「「不眠症」や「低血圧」「貧血」などにもキキメが……」。さらには、「「シモヤケ」「神経痛」「リュウマチ」にもキキメがあります。」とも書いてあります。万能すぎです。

・ナショナル パニチャー ハイデスク(松下電工)
同じくナショナルブランド(こちらは松下電工)の学習机の広告。机の天板は地図入りで、日本地図・世界地図、そして新たに星座図のいずれから選べるようになっているそうです。さらに天板はパネ張り(ミラミン樹脂)だから、地図の色褪せは心配ご無用。スタンドや電気えんぴつけずりの使用に便利なコンセントもついていて、まさに時代の最先端をいく学習机だったのでしょうね。

・ナショナル電気えんぴつケズリ(松下電器)
昭和30年代前半に登場したといわれる電動式鉛筆削り器の広告です。ナショナル製品を集めたわけではないのですが、これまたナショナル。バンバン広告を出していく戦略だったのでしょうか。登場当時の製品は、削れたかどうかは、いちいち鉛筆を抜いて確認する必要があったようですが、この製品は削れると赤いランプがつく仕組みになっています。

広告には、この「えんぴつケズリ」を使うことで、小学校入学から高校卒業まで1095時間(手で削る場合、1日15分かかるとして)が省けると書いてあります。1日に15分も削らないかと……。

・ナショナル トランジスタ時計(松下電器)
開き直って、またナショナル製品のトランジスタ時計。「2年間も巻かずに動く」というコピーは、平成育ちの人はもしかすると理解できないのかもしれませんが、当時の時計はゼンマイ式が主流で、1日から1週間に1度はゼンマイを巻く必要があったのが、トランジスタ時計なら電池が切れるまで使い続けることができるということです。

1960年代後半には、トランジスタ時計より精度の高いクオーツ時計が台頭、トランジスタ式は廃れていきました。

・ナショナル 雨とい(松下電工)
ナショナルは、こんな広告も出していました。プラスチック製の雨といだそうです。それまで使われていた金属製と違って「サビない」ことを強調しています。



自動車

■トヨタ自動車
・パブリカ デラックス(トヨタ自動車)
自動車広告の1つ目は、特急列車と東京~大阪間の費用を比較したトヨタ「パブリカ デラックス」から。後ろを走るのは、この年(1964年)10月に新幹線が開通すると共に廃止になった特急「こだま」号でしょうか。パブリカはリッター辺り24kmを走り、当時のガソリンは1リットル45円、一方で特急利用は2等席に大人4人が乗った場合での比較で、パプリカのほうが約7分の1の値段だとうたっています(なお、車の本体価格は含まれていない模様)。

・トヨペット・クラウン(トヨタ自動車)
続いては、純国産自動車として1955年(昭和30年)に誕生したトヨペット・クラウンの2代目モデルの広告。今では当たり前ですが、マニュアルギアやクラッチを使わず、アクセルだけでギアのコントロールができたのは、この広告当時ではクラウンだけだったそうです。6人乗りとなっていますが、前座席、後部座席にそれぞれ3人乗れるようになっていました。

・トヨタ オートローン(トヨタ自動車)
こちらは自動車本体ではなく、ローンの広告。左から「クラウン」、「コロナ1500」、「パブリカ」でしょうか。60年代の日本車はカッコイイ。



■日産/プリンス
・ブルーバード(日産自動車)
2001年まで販売されていた、前年(1963年)9月に発売された2代目ブルーバードの広告です。「月間販売台数8000台“走るベストセラー”」、「5人乗り乗用車の60%を独占」といかに売れている車かを強調しています。月間6000台を売ったトヨペット・クラウンは6人乗りなので、5人乗りに限定しているところがなかなか上手です。

・セドリック(日産自動車)
こちらも2004年で製造が中止された日産・セドリック。トヨペット・クラウンに対抗すべく日産の高級セダンとして1960年に発売された初代モデルの広告です。後ろ席専用ヒーター搭載に、後部座席に重役を乗せたような広告画像から、自家用よりも公用車をイメージしていたのでしょうか。

・スカイライン(プリンス自動車工業)
1966年(昭和41年)に日産自動車と合併したプリンス自動車工業が、1957年に発売したスカイラインの2代目モデル。日本屈指のスポーツカーである「NISSAN GT-R」に繋がる系統ですが、2代目当時は「高級ファミリーカー」として販売されていました。

・グロリア・スーパー6(プリンス自動車工業)
セドリックの姉妹車として、そしてセドリックと同じ2004年に製造が中止されたグロリアの広告です。広告内容は、2代目グロリアの上位モデルである「スーパー6」が、ドイツ最大週刊誌「QUICK」に同車が賞賛されたというもの。



■その他のメーカー
・ベレル(いすゞ自動車)
2002年(平成14年)に乗用車事業から撤退し、現在ではトラックやバスなど商用車に特化しているいすゞ自動車が販売していた乗用車の広告です。この前年(1963年)に日本初の高速国道として「名神高速道路」の栗東~尼崎(全長71km)が開通、最高制限速度が時速100kmと設定されました。その名神高速道路を走行する姿を掲載、スポーツカー並みの同車の最高時速145kmをアピールしています。同じく広告に最高時速を表示している他車と比較してみると、トヨタ「パブリカ」が時速110km、新三菱「コルト1000」が125kmなので、並外れているのが分かります。

・ファミリア(東洋工業)
同じく名神高速道路を走行する姿を掲載しているのは、1984年(昭和59年)にマツダに社名変更をした東洋工業「ファミリア」の初代モデルの広告です。前年(1963年)10月に発売されたばかりでした。こちらは最高時速の表示はありませんが、スポーツカー並みの高速性能をうたっています。

・コルト1000/コルト600 デラックス(新三菱重工業)
終戦後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が財閥を解体した際、三菱重工業は3社に分割され、三菱の名を外され改名されましたが、そのうちの1社「中日本重工業」が、1952年(昭和27年)に平和条約発効により日本の主権が回復したことで三菱の名前を戻し、「新三菱重工業」と名乗っていた時代の広告です。右上には「新三菱」のロゴが入っています。この広告の年に分割された3社は再統合し、三菱重工業と旧名に戻しているので、「新三菱」最後の年でもありました。

・コンテッサ(日野自動車)
こちらもいすゞ自動車同様、現在はトラック・バスといった商用車の生産に特化している日野自動車が、1966年(昭和41年)にトヨタ自動車と提携する前まで製造していた貴重な乗用車の広告です。広告内の車には子供1人を含め5人乗っていますが、かなり窮屈そう。

・カーステレオ(大興電機製作所)
最後は車ではないですが、カーステレオの広告。切れ目の入った画像は、ジャズミュージシャンのルイ・アームストロングでしょうか。それまでカーラジオはあったものの、テープが聴けるカーステレオはこの製品が日本初だったとか。国産のカセットテープが最初に発売されたのは1966年(昭和41年)のことですが、1962年にオランダのフィリップ社が発売しており、輸入品のステレオテープを使っていたようです。驚くのはそのテープの値段。30分もので3100円、1時間もので4350円だそうです(大卒キャリア官僚の初任給が1万9100円の時代)。



4回にわたって紹介してきました昭和39年の新聞広告まとめ、いかがでしたか? 東京オリンピック開催で一気に売れた「カラーテレビ」があり、「世界」を意識したお菓子の広告があり、長嶋・王といった野球界のスターが彩った栄養ドリンクの広告があり、日本の経済をささえてきた自動車広告があり、半世紀前の日本の世相が垣間見られかと思います。引き続き、昭和の歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)