どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は1963年(昭和38年)に公開された、日本を紹介したアメリカの教育番組を取り上げます。

この映像の冒頭には、ウィリアム・デネーン氏(William Deneen)という当番組のプロデューサーで、アメリカにおける教育番組の革新に尽力した人物(※参考文献《英語》は元記事にて)が登場します。

最初の3分31秒では、そのデネーン氏が膨大にある日本を紹介したフィルムの中から、日本という国を理解するのに最適な3本をピックアップした経緯を説明。そして、3分32秒目より、彼が選んだフィルムが始まるという構成になっています(この映像に収められているのは1本目のフィルムのみ)。

トータルで33分ほどと比較的長い映像で、我々日本人にとっては常識であったり退屈に思える場面も多々あるので、現代の我々が興味深く思える部分に特化して紹介していきたいと思います。早速見ていきましょう。

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デネーン氏が選んだ1本目のフィルムが始まります。モノクロの冒頭とは異なりカラー映像です。タイトルは「JAPAN MIRACLE IN ASIA(アジアの奇跡・日本)」。

この手の異文化を取り上げたフィルムでは常套となっていますが、とある一家をサンプルに、その国の日常や文化が語られていきます。

先に家を出たお父さんと長男を追って次男が走ってきます。現在では都市部ではほとんど見ませんが、当時は路地に入れば、未舗装の道はたくさんありました。ここからしばらくは、お父さんの通勤シーンが続きます。

場面は電車での通勤シーンに切り替わります。線路の右手に平行して走っているのは、首都高速道路より先の1959年(昭和34年)に開通している「東京高速道路」でしょうか。自動車が上がっていくのは新橋〜有楽町間にある「土橋入口」と思われます。

1957年12月 に101系車両が導入されて以降、おなじみのバーミリオンオレンジカラーとなった中央線がやって来ました。ホームに何か足りないと思ったら、黄色の点字ブロックがないんですね。そういえば。

手前に山手線、奥には京浜東北線でしょうか。山手線はヘッドライトが1つの101系車両で、車体の色はおなじみのウグイス(黄緑)色ではなくカナリア・イエローでした。1963年(昭和38年)12月に登場する103系よりウグイス色となり、1969年(昭和44年)に全車がウグイス色に統一となりました。



お父さんのオフィスへやって来たようです。コンピューターに入力するためのキーパンチを打っているところでしょうか。電話は当たり前ながらダイヤル式。デスクには灰皿が欠かせません。パーソナルコンピューターのない時代のデスクは、すっきりして見えます。



映像は再び屋外へ出て(6分29秒頃)、ここからナレーション(英語)が始まります。銀座の数寄屋橋交差点付近のようです。右手には「銀座の地球儀」と呼ばれていた球状の看板がある「不二越ビル」があり、左手には「不二家」の数寄屋橋店があります。

バスが人混みに割って走行していきます。どかなければ引かれてしまいそうな勢いです。今なら問題になりそうですね。

こちらは東京駅八重洲口前の横断歩道でしょうか。その混雑をバックに、「東京は世界随一の1千万以上の人口を抱える、恐ろしく混雑した、世界で最も急速に成長している都市です。奇跡的な経済成長は、日本を西欧諸国外で唯一の近代国家へとのし上げました」とナレーションは語っています。



タイトル文字が流れ、夜のシーンが映し出されます。左側のネオンサインは、先ほども登場した「不二家」数寄屋橋店のもの。画面右奥には「銀座の地球儀」も見えます。

こちらは、高級キャバレーとして知られた今はなき「モンテカルロ」のネオンサイン。「東京のネオンサインは、世界のどの都市よりも多い」とナレーション。

「映画館もどこよりも多く」、と映画館が映し出されると、ウォルト・ディズニーが総指揮を執った「山の上の第三の男(Third Man on the Mountain)」が上映中のようでした。

「そして、カフェも多く」。赤文字のネオンサインは「Julian Sorel」と読めます。かつて銀座・みゆき通りにあった喫茶兼服飾店の「ジュリアン・ソレル」でしょうか。

こちらは銀座・和光前の交通量を捉えています。都電にノーヘルのバイク。次の画像は、切り取った画像の中で一番のお気に入りのショット。都電と自動車が並んだシーンです。フロントが一番見えている車は、初代のトヨペットクラウンですかね。

小さい店の入り口に置かれた赤電話に、二人の使用者が(9分5秒頃)。「公衆電話」のホーロー看板が懐かしい。

こちらは、書店に置かれた雑誌棚(9分42秒頃)。土曜漫画、週刊サンケイなど、今では見られないタイトルがある一方、週刊ベースボール、週刊文春といった今なお現役の雑誌も。



日本の鉄道事情の話に移ります(10分19秒頃)。地下鉄・銀座線が渋谷駅から出てくるところです。右後ろには「東横百貨店(後の東急百貨店東横店)」の東館(2013年閉館)が見えます。

四ッ谷駅手前で地上に出てくる地下鉄・丸の内線と上を走るのは中央線でしょうか。周囲の建物と電車は変わりましたが、構図は現在も変わりません。

こちらは「特急こだま」でしょうか。このフィルムが公開される翌年、1964年(昭和39年)10月に開通する新幹線が登場するまで、最速を誇っていました。ナレーションでは「最高時速156マイル(約250km)」と言っていますが、さすがにそれはないです(時速110kmほどで運行)。



日本の工業製品についての話題が始まります(16分54秒頃)。ボクシング中継が映るのは、ソニーが1960年(昭和35年)に発売した世界初の直視型ポータブルトランジスタテレビ「TV8-301」でしょうか。時代の先を行きすぎ、売れ行きは今ひとつだったようです(※参照記事は元記事参照)。

テレビの工場です(※冒頭の画像)。ナレーションいわく、当時の日本では4家族に3家族がテレビを所有していたそうです。ここではカラーテレビを製造していますが、日本でカラー映像が配信されたのは1960年(昭和35年)と、始まったばかりの時代です。このフィルム公開の翌年に開催される「東京オリンピック」を機会に、カラーテレビは徐々に普及していきました。

さらには自動車工場。こちらは先ほども登場した、1962年まで製造された初代トヨペットクラウンのようです。

一層式洗濯機の工場のようです。現在のような洗浄と脱水、自動給水がされる「全自動洗濯機」は、国産では1965年(昭和40年)に松下電器産業(現・パナソニック)が最初に発売したので、これは脱水は手動でやるタイプの一層式ですね。洗濯機前面右上に、洗濯物を絞るローラーのハンドルが付いています。



場面は変わって(24分15秒頃)、サンプル家族のお父さん、ニシムラ アキトさんが帰宅してきました。玄関で靴を脱ぐと、出迎えていた奥さんが靴をそろえ、お風呂に入ると背中を流してくれ、夕飯前にはお酌までしてくれます。現代のお父さんには羨ましすぎる光景です。夕飯は出前と思われるお寿司。豪勢ですね。

息子さんが通う大学の様子が映し出されます。みんな学ランを着ています。1960年代までは大学生も学ラン着用が普通だったのです。

若者たちの新しい文化として、「歌声喫茶」が紹介されています(30分23秒頃)。「歌声喫茶」とは、客たちがみんなで同じ歌を合唱する喫茶店のことで、1955年(昭和30年)頃より東京でブームになり、1970年(昭和45年)頃まで流行が続いたようです。喫茶とはいえ、お酒も飲めたようです。



短くまとめようと試みてはみたものの、切り取りたい場面があまりにも多すぎてかなり長い記事になってしまいました。33分と比較的長いですが、映像も見ていただくと、音声も付いているのでまた違った発見があるかもしれません。引き続き、歴史の1ページを紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)


【動画】「japan miracle in asia 1963」