5時間24分-。将棋の公式戦でプロ棋士が一手を指すのにかけた最長時間だ。早指し棋戦を除けば、プロのほとんどの対局は8時間以上かけて行われる。そのために昼食休憩や夕食休憩が設けられているのだが、食事にも棋士の個性が出ておもしろい。

たとえば“ひふみん”の愛称で親しまれる加藤一二三九段。「棒銀」という同じ戦法を何十年も指しつづけているように、対局時は昼食と夕食に「うな重」の出前を10年以上も頼み続けていた(最近は寿司の注文が多い)。過去には、天ぷら定食を約7年にわたって頼み続けていたこともある。

一方、羽生名人は特定の得意戦法をもたないオールラウンドプレーヤー。食事にも偏りは少ないが、ときに“羽生マジック”のような常人では考えつかない注文を行う。そこで今回は羽生名人の驚くべき食事をランキング形式で紹介したい。将棋の指し手は理解できなくても、その異才ぶりを感じられるはずだ。

第3位 旅情なんて関係ない!パリでナポリタンを注文

史上初の“永世竜王”の座をかけた渡辺竜王(当時)とのビッグマッチ、2008年の「竜王戦」七番勝負はフランス・パリで幕を開けた。羽生名人は「パリらしく芸術的ともいえる将棋を指したい」と抱負を語り、宣言通りに芸術的な指しまわしで快勝する。

その対局1日目の昼食として羽生名人が選んだのはナポリタン・スパゲティだった。もちろんフランス料理でもイタリア料理でもなく、日本生まれの洋食だ。なぜ、わざわざパリでナポリタンを食べるのか? 常人ならば当然抱く疑問を名人は一笑にふす。

「軽いものを頼もうとスパゲティにしようと思ったら、(対局場となるホテルが用意したメニューでは)ナポリタンかボロネーズの二択なんですよ」

タイトル戦の場合はメニュー表に載っていない料理も注文できるが、羽生名人はそうしなかった。将棋を通じた表現こそがすべてであり、「パリでナポリタン?」といぶかしむ周囲の目なんて気にしない。その姿勢は寝グセをまったく気にせず、盤上に没我していた全冠制覇前の姿と重なる。

第2位 達人の慧眼!きつねうどんの連投で勝ち続ける

羽生名人が初めて「棋聖」のタイトルを獲得したのは1993年。その翌年から現在まで「棋聖戦」の会場として、淡路島の「ホテルニューアワジ」が毎年のように利用されている。この場所で羽生名人が対局する際は、昼食にきつねうどんを注文するのが定跡だ。

その採用率は約9割にのぼるが、他の棋戦や対局場できつねうどんを食べることは少ない。かといってホテルの看板メニューというわけでもなく、いたってシンプルな料理である。では異様な連投の理由はなにか。それは達人ゆえの“慧眼”にあるだろう。

棋聖戦のタイトル戦は1日制のため、昼食休憩後すぐに緊迫した戦いになりやすい。「ホテルニューアワジ」のメニューのなかでは、消化しやすいきつねうどんが最善だと判断したのだ。実際、2008年以降に羽生名人が同ホテルできつねうどんを食べた対局は6戦全勝。同一局面の結論(勝利)が変わらなければ、最善手(きつねうどん)も変わらない。

第1位 周囲を悩ます禅問答、天ぷら抜きの天ざるそば?

過去最大の衝撃が訪れたのは、2004年の「名人戦」第6局、2日目。羽生名人が昼食として「天ぷら抜きの天ざるそば」をオーダーしたのだ。周囲の目を気にしないだけのナポリタンとは質が異なり、まるで禅問答のような表現。注文を受けた担当者も戸惑ったに違いない。

なぜ「ざるそば」と言わなかったのか。その真意は謎のままだが、この日はカド番に追いこまれて名人位を失いかねない状況。危機に陥ったからこそ、普段は隠している天才の特異な一面を見せてしまった。そんなふうに解釈できる。

近年のタイトル戦はニコニコ動画や公式ブログなど、インターネットを通じてリアルタイムで中継されている。そこで紹介される棋士の食事に注目すれば、それぞれの個性が見えてくるかもしれない。

(高橋雄輔)