どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回はアメリカがニュースとして伝えた「第二次大戦後の日本はどう変わったか」という、米軍目線での内容の映像を紹介していきます。

「JAPAN AND DEMOCRACY(日本と民主主義) 」というタイトル付けされた、アメリカの政府機関「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」が公開している(著作権切れ)映像です。TIME、LIFE、Fortuneという世界中で読まれている時事雑誌の編集者の合作という、ものすごく力の入った作品で、映像はモノクロ、英語のナレーションが挿入されています。

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まずは、敗戦後の日本を統治していた]G.H.Q.(連合国軍最高司令官総司令部)の本部として使われていた、東京・日比谷にある第一生命館の入り口らしき場所が映されます。

入り口前で警備するMP(憲兵)たちの後ろには、日本人の見物客も集まっていました(※冒頭の画像)。赤ちゃんを負ぶったお母さんの姿も見えます。

ビルから出てきたのは、アメリカの軍人としては日本で最も知られているであろうダグラス・マッカーサー元帥。連合国軍最高司令官総司令部を務めた人物です。映像はしばらく、マッカーサーについての紹介で進みます。

銀座のあたりが映されます。比較的、空襲の被害が少なかったようです。

『GINZA AVE.』と『Z AVE.』との交差点を表す標識があります。『GINZA AVE.』は文字通りの『銀座通り(現・中央通り)』、『Z AVE.(ゼット・アベニュー』は、『晴海通り』を占領軍がつけた英語名でした。銀座四丁目の交差点です。この交差点も、ニューヨークの有名な交差点を模して『タイムズ・スクエア』と呼ばれていました。MPと後部座席に日本の警官が乗った軍用車が通っていきます。



場面は変わって、1945年9月2日に米戦艦『ミズーリ号』上で交わされた降伏文書調印式の模様です。日本の政府(シルクハットをかぶっている)と軍部(軍服姿)の代表たち。この日をもって、しばらく日本は正式に独立国ではなくなってしまいます。

署名するマッカーサーの姿。「マッカーサー将軍は、日本占領の責任者となり、多大な労力と費用を掛けて日本を民主化していくのです」とナレーション。以後、勝者・連合国の最高司令官の務めたマッカーサーが、どのようにして日本を統治していったのかがまとめられています。

※以後の文中「 」でくくっている部分は、著者がナレーションを翻訳したものです。



「この戦争によって、都市部の50%以上の家が破壊されました」。

こちらは、破壊されずに残った井戸を使う親子たちの姿です。「空襲により90万もの人が亡くなりました」。

「最初の仕事は、ほとんどが瓦礫となっていた、日本の重工業工場をキレイにすること。一時期はパワフルだった軍需工場もどんどんと解体されていきます」。



場面は変わり、1台のバスとその後ろから軍用車がやって来ます。バスが停車すると、後ろの軍用車から小銃を持った兵士たちが飛び降り警備します。

物々しい警備の中、バスを下りてきたのは、第二次大戦開戦時の内閣総理大臣、東條英機元陸軍大将です。「証拠が揃うや否や、日本の戦犯たちが召集されました」。

日本の戦争責任者を連合国が裁いた『極東国際軍事裁判(東京裁判)』も映し出されています。「最重要人物は悪名高き東條英機将軍で、実質的に開戦を指揮した責任者であり、それらの事実は天皇の戦争責任の容疑を晴らすものになります」。

「日本が降伏するまで、天皇は人民にとっての現人神でした。天と日本の大地を創造した神の子孫だと言われていました。戦時に国民を結束させていたのは、天皇の存在があってのことでしたが、占領軍は天皇を国家の象徴として残すことに決めました。マッカーサー将軍の提言により、昭和天皇は自らの神格を否定しました。それでも国民は天皇を尊び、それどころか素朴で近代的なお姿に、以前より親しみを感じているようにも見えます」。

海で泳がれる、若き日の今生天皇(当時皇太子)のお姿も映っていました。



「日本の変革を担い、公務に追われる日々を過ごすマッカーサー将軍は、重要な場にしか姿を見せることはありません」。そのためか、マッカーサーが姿を現わす場には、見学者の姿も。

「週に7日を最高司令官の公務にささげるマッカーサー将軍は、ほとんどの社交の場は、マッカーサー夫人に任せきりです」。珍しく社交の場に姿を現わしている場面です。軍服を着ていないと、当たり前ですが普通の初老の男性です(終戦時で65歳)。

こちらがマッカーサー夫人、ジーン・マッカーサーさん。ダグラス・マッカーサーが1880年、ジーンさんが1898年生まれなので、18歳ほど年下です。



『Allied Council for Japan』(対日理事会)と掲げられているのは、東京・丸の内にある明治生命館(現存)です。「米国と英連邦(英国、オーストラリア、ニュージーランド、インドが参加)、中国、ソビエト連邦(現・ロシア)の代表が集まり、マッカーサー将軍らへのアドバイスや占領政策について話し合われましたが、この会議は明らかに短すぎで効果があるものではありませんでした」。

エレベーターに乗り込むマッカーサー。「どうあれ日々の決断は、占領政策のボスであるマッカーサー将軍が常にくだしていました」。アップに映し出されるのは、マッカーサーの懐刀として知られたG.H.Q.政務局の局長、コートニー・ホイットニー准将(少将と大佐の間の階級)。弁護士・法学博士でもあり、日本国憲法の草案を指揮した人物でもあります。

「占領政策で一番重要なのは、日本人が自らの力で政治を回復していく手助けをすることにあります。そして、1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行され、象徴天皇制が取り入れられました」。

「市民レベルでは、民主主義とは何か国民に理解してもらうために、全国に57の教育チームが設置されました」。

「民主主義の風潮は、まず女性の行動に表れました。妻が夫の後ろを3歩下がって歩くという古いしきたりは、過去のものになりつつあります。女性の地位向上のために集会なども行われるようになりました」。

こちらは演説が行われています。聴衆も楽しそうです。西洋風音楽を取り入れた演説などもあったようです。

「1946年(昭和21年)春には、初の女性の国政参加が認められた選挙が行われ、有権者の4分の3あまりが投票をしたようです(女性は有権者の3分の2が投票)」。

「農業においても、大きな変革がありました。戦争が終わるまでは、日本の農業の4分の3ほどが小作(地主に賃貸料を払い土地を借り農業を行う)でした。収穫高の50~70%は土地代として支払わなければならず、生活は苦しかったのです。マッカーサー将軍の政策により、地主から土地を買い上げ、それを小作農家に販売しました」。

「学校教育においては、教科書を改め、軍事色を一掃しました」。カメラが捉えた教科書は昭和24年発行のようです。『Approved by Ministry of Education(文部省認可)』と英語で書いてあります。

「男子のみが入れることができた国立大学(旧・帝国大学)は、共学になりました。一方、民主主義の世の中になったことで、若い理想主義者や識者たちは、共産主義に転換していきました」。

とある街並みが映し出され……、

『日本共産党本部』の看板です。本部の場所は戦後の結党以降変わっていないようなので、上の街並みは東京都渋谷区千駄ヶ谷あたりと考えられます。画像の一番左が戦後の日本共産党の書記長の徳田球一氏、その隣が野坂参三氏、一番右が志賀義雄氏のようです。

「共産党の日本での広まりは緩やかですが、貧しい暮らしをしている人も多く、そういう人々へは強力なアピールとなります。共産党の日本での武器となるのは主義主張ではなく、仕事を与えるという約束と山盛りのご飯なのです」。

「さらに、5年にも及ぶ抑留を経て、帰国前に共産主義の教育を受けてくる170万にもおよぶソビエト連邦からの帰還者が日々帰国して来ることで、日本の共産党勢力は日増しに増えてきているのです」。帰還者たちが着いた港には『皆さま御苦労さまでした』という看板が掲げられていました。『入浴ー検疫―入寮』のように書いてあるのが見えます。帰国後の行動手順のようです。

2002年(平成14年)まで使用されていた総理大臣官邸のようです。自動車が入ってきます。「ソ連帰国者の共産党定着率が20%以下になるようにと、気が気でありません。が、増える共産主義者に対抗するには、経済の立て直しが必要と、吉田茂首相は考えているようです」。

「食料については、4分の1がアメリカからの輸入に頼っています。戦前は自国を潤すだけでなく輸出までしていた漁業も、戦後は連合国が設定した漁業禁止エリアにより漁場が減ったことと、漁船の修理がなかなか進まないことから規模はかなり縮小しています」。

「以前の日本の花形輸出産業だった生糸と綿織物業は、稼働を再開しています」。

「しかし生糸の値段は壊滅的に下落し、さらに米国の女性はナイロン製品を好んで使うようになってきており、戦前日本の輸出ナンバーワン製品は、マーケットから除外されつつあります」。

工場の従業員のようです。奇麗な方ですね。

輸出用コンテナには、MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下の日本製)と表示されています。



廃れる産業があれば栄える産業もあり。「トラックは月産2500台もあり、日本の経済を支えています」。トヨタの工場が映し出され、そこで働くサイトウタカシさんという男性が紹介されます。ここからしばらくは、このサイトウさんの生活を通してストーリーが展開していきます。

「新しい日本の民主主義では、サイトウさんをはじめ労働者は、定期的に労働組合の会合に参加し、労働環境について話し合ったり、組合リーダーからの報告を聞いたりします」。

「トヨタで働く従業員のほとんどは、会社が用意した仮設住宅に住んでいますが、サイトウさんは幸運なことに両親と同居する持ち家があります」。玄関にはサイトウさんのお子さんの姿も。「食糧不足の時代ながら、サイトウさんの食卓は他の家庭よりも充実しています。十分なご飯や麺類に魚も。ご飯時はサイトウさんにとって一日で一番幸せな時間なのです」。

ネコが見守る中、たらいと洗濯板でお洗濯。現代に生きる日本人の多くが、見たことのない光景になりつつあります。「多くの母親同様、サイトウさんの妻も日常生活を営む上でやることが満載です」。

サイトウさんの家の近所のようです。日本とは思えないのどかさです。「近くの商店にやってきたサイトウさんの妻。まだまだ食料品の値段は法外に高いですが、都会に比べると野菜や果物が豊富に揃っています。田舎に住む利点です」。

「サイトウさんの妻が家事をこなしている頃、息子のヨシノブくんは公園で野球をしています。アメリカのように、野球は日本の国民的スポーツになりつつあります」。ヨシノブくん、ジャストミート!

「日本の他の女性同様に、サイトウさんの妻も新聞に毎日掲載される『ブロンディ』のファンになっていました」。

『ブロンディ』とは、朝日新聞に1949年1月1日から1951年4月15日まで掲載されていた4コマ漫画のことです。(参考文献:アメリカ漫画『ブロンディ』へのまなざし

「アメリカの日常の家族生活が、民主主義の象徴のように彼女たちの目に映ったのです」。奥さんはちょっと演技が入って笑ってくれています。



サイトウさん一家の登場は以上で終わります。「占領下の日本では、キリスト教はこれまでになく自由になり、活動も盛んになっています。道徳的な教えやチャリティーの精神、平和など、西洋的な善と悪を日本人に伝えたのです」。

「(終戦後に禁止されていた)神道の古代から伝わるお祭りは、復興されました。ただ、この宗教は、すべての人間は天皇の下に作られているという教義があり、軍事的に曲解して使われる可能性は依然秘めています」。

「昭和天皇は公式に自身の神格を否定していますが、いまだに数知れぬ国民から賛美を受けています」。戦前の日本に逆戻りする可能性を秘めているということを示唆しているのでしょう。

「マッカーサー将軍のリーダーシップの下、日本に民主主義を植え付ける壮大な試みは進展してきました。ただ、そこには共産主義の脅威が断固としてあります。日本は共産主義に対抗するのに戦略的に重要な位置にあり(中国、北朝鮮、ソ連に隣接しているため)、その重要性は日々増してきているのです。自由主義国にとって最後の砦は、日本が民主主義国であり続けることなのです」。終わり。



わずか17分ほどのフィルムでしたが、連合国による占領時代の日本の歴史が濃縮に詰まった内容で、さすがTIME、LIFE、Fortuneという世界的な雑誌が監修しただけのことがあるなと感心させられました。戦後70年を迎えた今年、改めて戦後史をじっくりと振り返ってみたいものです。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



【動画】「JAPAN AND DEMOCRACY」