どうも服部です。昭和時代をあれこれ検証していくシリーズ、今回は、かつて乗降客数が東京でトップ5に入っていた鉄道駅を取り上げたいたと思います。しかもその駅、現在は存在していません。

ちなみに、JR東日本が発表している2013年の乗車人数トップ5は以下の通りです。横浜駅以外は、いずれも東京都内のターミナル駅がランクインしています。

1位:新宿駅 751,018人(1日平均人数・以下同)
2位:池袋駅 550,350人
3位:東京駅 415,908人
4位:横浜駅 406,594人
5位:渋谷駅 378,539人

このそうそうたる首都圏の主要駅に匹敵するような駅が消失するなんて……(と引っ張るのはやめにして)鉄道に少しでも詳しい方ならご存じかと思いますが、その駅とは「万世橋駅」です。

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地図で見ると、秋葉原駅から直線距離で200mほど(元記事:赤い四角枠の場所)、徒歩約4分の場所で、駅名の通り神田川に架かる「万世橋」のたもとにありました。

では、なぜそんなにも乗降客数が多かったという「万世橋駅」が、いつしか存在すら失ってしまったのでしょうか。歴史をざっと紐解いていきましょう。



■「万世橋駅」の歴史

万世橋駅が開業したのは1912年(明治45年)4月1日。すでに新宿~立川間を運行していた私鉄の甲武鉄道が都心へと延伸し、銀座と並ぶほどの繁華街へと成長していた神田須田町にできた起終点駅が「万世橋駅」でした(駅の開業時には甲武鉄道はすでに国有化され中央線となっていた)。駅舎は、後にできる東京駅と同様に辰野金吾が設計しました(冒頭の模型画像が、その1代目駅舎)。

駅前には、下の絵はがき(※元記事)に見られるように、日露戦争で日本初の「軍神」となった広瀬中佐とその部下の杉野兵曹長(階級はいずれも戦死後のもの)の銅像が立っていました(第二次大戦終了後に撤去)。

Manseibashi Station reconstructed.jpg
"Manseibashi Station reconstructed". Licensed under パブリック・ドメイン via ウィキメディア・コモンズ.


ところが1919年(大正8年)に、中央線は1914年(大正3年)に開業していた東京駅まで延伸し、万世橋駅は起終点駅を返上。単なる中間駅となります。さらに1919年(大正8年)に神田駅が、1925年(大正14年)に秋葉原駅(旅客用として)が開業、万世橋駅から徒歩圏内に次々と駅ができたのです。

追い打ちを掛けるように、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で万世橋駅は焼失。利用客は神田駅や秋葉原駅が使えることから、万世橋駅の存在価値は激減します。1925年(大正14年)には2代目駅舎が完成しますが、震災で残存した基礎を利用した平屋建ての簡素なものとなりました(上の絵はがきは2代目の駅舎※元記事)。

1936年(昭和11年)には鉄道博物館が駅に併設されます。駅舎の大部分を鉄道博物館に譲り、駅自体は大幅に縮小されました。そして第二次大戦中の1943年(昭和18年)、乗降客減少に伴い、駅は休止となりました。まさに、ガケを転がり落ちるような転落人(駅)生でした。

戦後は、鉄道博物館は交通博物館と名称を変え、2006年(平成18年)まで開館していたので、ご存じの方も多いことでしょう。



■現在の「万世橋駅」跡はどうなっているか?

2006年の交通博物館の閉館後、交通博物館の建物は2009年に取り壊され、現在は「JR神田万世橋ビル」という地上20階建てのビルが立っています。

ただ、「万世橋駅」の駅ホームだった場所は残されていて、2013年に「マーチエキュート(mAAch ecute)神田万世橋」というショップやカフェが並ぶ商業施設に生まれ変わっています。



■実際に「マーチエキュート神田万世橋」に行ってみた

※以下、画像は元記事でご覧いただけます。

まずは秋葉原駅から徒歩で万世橋まで。現在の橋は1903年(明治36年)に架けられたものということで、歴史を感じるたたずまいとなっています。関東大震災で被災しますが、すぐに修復されたそうです。

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万世橋上から見たレンガづくりの「マーチエキュート神田万世橋」。

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入り口はこんな感じです。知らなければここが約百年前に建てられた駅だったとは気付かないでしょうね。

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1階フロアには、ビアホールやこじゃれたお店が並んでいます。

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1階のメインイベント(ビアホールやショッピング目的でなければ)は、全盛期の頃の「万世橋駅」周辺を再現した模型です。路面電車(東京市電)の乗換ターミナルとしても栄えていたということが、この模型を見れば一目瞭然です。

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2階へはエレベーターもありますが、ぜひ階段を使いたいところ。階段は2ヵ所あり、1つは「1912階段」、もう1つは「1935階段」と呼ばれていて、いずれも設置された西暦を意味しています。特に上の写真の「1912階段」は、1912年(明治45年)の開業当時に設置された階段で、1943年(昭和18年)の駅休止以降、交通博物館時代も公開されていなかった貴重な階段なので、じっくり歴史を感じながら利用したいものです。

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2階に上がると、線路に囲まれたガラス張りの空間になっています。線路を走るのは、もちろん現在も中央線です。「まんせいばし」と書かれたレプリカの駅名表示もあります。

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2階の「お茶の水駅」側には、カフェ&レストランもあります。ビールやコーヒーでも飲みながら、目の前を頻繁に通過していく中央線を眺めてみるのも乙なものです(やや離れて総武線なども見えます)。もちろん、子鉄ちゃん(子供の鉄道マニア)たちも大喜び!

※2階から楽しめる鉄道風景は、こちらの動画でもどうぞ。

【動画】マーチエキュート(mAAch ecute)神田万世橋からの眺め


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最後に忘れてならないのは、「マーチエキュート神田万世橋」から眺める万世橋の姿。川面と橋だけを眺めていると、いつの間にか100年前の時代に気分だけタイムスリップできるかも。

この施設に興味のある方はこちらから
↓   ↓   ↓   ↓   ↓
マーチエキュート神田万世橋
http://www.maach-ecute.jp/

引き続き、昭和のあれこれについて書いていきたいと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)