どうも服部です。昭和の動画を紐解いていくシリーズ、今回は今年で70年目を迎える第二次大戦終戦直後の映像を紹介していきます。

「ALLIED FORCES LAND IN JAPAN(連合軍日本上陸=著者訳) 」というタイトル付けされた、アメリカの政府機関「US National Archives(アメリカ国立公文書記録管理局)」が公開している映像です。映像はモノクロですが、英語のナレーションが挿入されています。

一般に見る「日本の終戦」についての映像というと、昭和天皇の玉音放送に始まり、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が飛行機で厚木飛行場に降り立ち、米艦ミズーリ号で降伏文書調印という流れでの紹介が多いのかと思いますが、この映像では、マッカーサーが厚木に降り立つまで、米軍がどのようにして東京周辺に上陸していったのかがまとめられています。早速見ていきましょう。

この記事の完全版(動画・全画像付き)はこちら

上空から映し出される連合国軍(米軍)軍艦の姿。400隻ほどが日本上陸へと向かっているようです。

そして、艦隊を率いるのは、後日となる9月2日、艦上にて降伏文書調印が取り交わされることとなる戦艦ミズーリです。現在ではハワイのパールハーバーで記念艦として保存されています。「日本軍がパールハーバーで殲滅したと思い込んでいた米艦隊が、日本に居座りにやって来たのです」とナレーション。あくまで、70年前の終戦直後のコメントです。この笑顔の男性は、ミズーリ率いる米国海軍第3艦隊の司令長官、ウィリアム・ハルゼー提督です。

場面は変わって同年6月に陥落した沖縄が映し出されます。すでに米軍支配下にあり、ズラリと米軍輸送機が待機しています。特殊部隊である「第11空挺師団(通称エンジェルス)」が東京(厚木)へ到着するのを待ってから出発するのだそうです。

その「第11空挺師団」の機内から見た富士山の映像です。

こちらは、「第11空挺師団」到着後に厚木飛行場(正式名称:厚木海軍飛行場)にやって来た最初の輸送機だそうです。記録によると、1945年8月28日のこと。



日本の軍関係者が飛行場に集まってきます。「これが降伏です」とナレーション。さらに厚木飛行場の施設の屋根には、星条旗が立てられます。我々日本人にとっては、屈辱的なシーンが続きます。

そして、米軍輸送機は次から次へとやって来ては、兵員や日本本土の占領に必要な物資などが荷下ろしされます。

日本の憲兵隊は、人員不足から占領初期には米軍管理下に置かれたそうです。

厚木飛行場は1943年に完成したばかりの飛行場でしたが、米軍爆撃機・B29の度重なる空爆により、路面の状態は酷かったようです。日の丸の付いた航空機が見えますが、資料によると「96式陸攻、零戦、雷電、彗星、零式輸送機など」が残っていたとのこと。いずれも、飛行不能な状態にして米軍を迎えたそうです。



映像は再び海上に戻ります。場所は相模湾だそうです。日本兵(正確には元日本兵)を乗せた船がやってきました。

中央で敬礼している日本兵が乗り込んできたのは、米国海軍の軽巡洋艦サンディエゴ。8月27日に東京湾入りし、東京湾に入った連合国軍で最初の船でした。日本兵は、軽巡洋艦サンディエゴが水雷などの危険物がない航路を安全に進めるためのナビゲーター役をしに来たそうです。

そして見えてきたのが、戦艦長門です。日本海軍を代表する戦艦で、太平洋戦争開戦時には、連合艦隊司令長官の山本五十六大将が乗船する旗艦でもありました。

以後、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦といった歴史に残る海戦に参戦するも切り抜け、1944年11月にいったん横須賀港に整備に戻りますが、すでに物資不足のため改修はされず、終戦まで外海に出ることはありませんでした。

長門の艦上です。一時期は世界で最も強力な戦艦のひとつと知られた船だけに、半壊以上であるとはいえ砲はまだ使える状態にあり、連合国軍にとって危険であるという判断によって、戦艦と乗員ともども米国海軍の管理下に置かれることになりました。その調印式の模様が映し出されます。

戦艦長門はその後、1946年にビキニ諸島での核実験の標的として使われ、2回の核実験に耐えつつも、やがて沈没したといわれています。


ここからしばらくは、米軍海兵隊による上陸の様子が映されます。日本の反撃を想定してのことか、それとも演習としての意味合いがあったのでしょうか、かなり警戒しての上陸です。



先ほどの軽巡洋艦サンディエゴが横須賀港に着艦しました。そして、簡単なやり取りを経て、横須賀港はアメリカ軍の管理下へ渡ることになります。



厚木飛行場に戻ります。引き続き、米軍輸送機が引っ切りなしに着陸しています。「数時間のうちに、東京エリアは数千の米兵で埋まることでしょう。2週間前にはこの周辺に30万人という日本兵がいましたが、今は武装解除され、解散しています」とナレーションは説明しています。

「そして、もう1機、厚木飛行場に飛行機がやって来ました」。「BATAAn」という文字の下に、フィリピンの首都マニラがあるレイテ島の地図が入ったマーク。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの専用機として知られている「バターン号」です。

その「バターン号」のタラップを降りてくるのは……、誰もが一度は見たことがあると思われるあのシーン。1945年8月30日(最初の輸送機が厚木に到着した2日後)、マッカーサーが厚木飛行場に降り立ちます。

ちなみに、厚木飛行場には、占領初期に米軍が使用するため、日本国内から自動車が集められていました(米国から自動車が輸送されてくるまでの代用として)。

最後は「俺たちの占領政策はこれから始まる」という感じのシーンで映像は終了します。

いかがでしたか? 一般にはあまり知られていない、マッカーサーが厚木に降り立つまでの舞台裏を垣間見ることができた貴重な映像だったと思います。引き続き、昭和の歴史を紐解いていければと思います。

(服部淳@編集ライター、脚本家)



■動画「ALLIED FORCES LAND IN JAPAN 」